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		<title>武蔵野独歩</title>
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		<description>武蔵野独り暮らし、日々雑感。</description>
		<dc:language>ja</dc:language>
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		<title>バーサンダード 〜 林檎救助隊発進!! #iPad #後期高齢者 #</title>
		<description>　前エントリ（→）で後期高齢者後期のオフクロのiPadとの奮闘記を綴り、好評を博した。

　で、あれからオフクロはメールについては概ね習得するに至り、ここ数週間は俺とは電話よりもメールで近況等をやりとりすることが多くなった。
　また、現在米国留学中の孫（俺の上の娘）ともメールのやりとりをするよ...</description>
		<content:encoded><![CDATA[　前エントリ<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/95/" target="_blank">（→）</a>で後期高齢者後期のオフクロのiPadとの奮闘記を綴り、好評を博した。<br />
<br />
　で、あれからオフクロはメールについては概ね習得するに至り、ここ数週間は俺とは電話よりもメールで近況等をやりとりすることが多くなった。<br />
　また、現在米国留学中の孫（俺の上の娘）ともメールのやりとりをするようになり、齢86歳にしてケータイも含めたところの人生初メール生活を満喫しているというわけだ。<br />
　さすが、下総の国、東葛の小原糸子（笑）<br />
<br />
　ところが今朝、俺が外勤めの仕事に入る直前にひさびさにiPhoneに電話着信があった。<br />
　よほどのことかと思い折り返したところ、<br />
「メールが使えなくなった。また、青空文庫のアプリが無くなった」<br />
　との由。<br />
<br />
　で、幸いにしてお世話になっているヘルパーさんが午後に様子を見にきてくださるとのことだったのでとりあえず進捗を見守っていたところ、15時頃にメールが入った。<br />
　つまりメールについては無事に復旧した証左だったわけだが、青空文庫アプリだけはどうしても見つからないとの記載。<br />
　なので急ぎオフクロに電話連絡を取り、ヘルパーさんに代わってもらいiOSの検索機能を使って青空文庫アプリ＝i文庫HDを探してもらったのだが、やはり完全に消失した模様。<br />
　経緯を確認したのだが、どうやら昨日オフクロの家の屋根の修繕の見積もりにやってきた懇意の大工さんがiPadに興味を示し23時過ぎまでいじり倒してたらしいのだが、どうやらその中でi文庫HDを消してしまったらしい。<br />
　はあ、こりゃこりゃ……<br />
<br />
　もちろんiOSアプリのこととて再ダウンロードをすればいいわけなのだが、アプリのダウンロードはまだ“あえて”教えていないし、i文庫HDは俺のアカウントで購入したものだ。いかに懇意のヘルパーさんが協力してくださる可能性があるとはいえ、そうそう再ダウンロードのためのパスワードを教えるわけにはいかない。<br />
<br />
　そんなわけできょうから地獄の5連勤という最高のタイミング（涙）ということもあり逡巡したのだが、とどのつまり他の日に動くよりはきょうしかないだろうというわけで、外勤め終了後に遠路はるばる武蔵野線ぐるり等々を利用して顔を出し、各種の面倒を見て、つい先ほど帰還したわけだ。<br />
<br />
　いやー、疲れた。あした休みてえ（笑）<br />
<br />
　まあこれが他のアプリだったら数日待ってもらうこともありだったわけだが、よりにもよって消失したのが「i文庫HD」だったというのが最大の問題。<br />
　何せ前エントリでも綴ったように昭和の大文学少女だった彼女は本当にi文庫HDで気軽に読める青空文庫を大いに気に入っており、すでに多くの作家たちの作品群を読破したらしい。ひょっとするとi文庫HDのヘビーユーザ100選に入るかもしれない（笑）<br />
<br />
　というわけでここで青空文庫が読めなくなることでiPadへの興味が薄れてしまっちゃ困るということで、俺も老体に鞭打って出かけた次第。老老介護林檎版（笑）<br />
<br />
　とまれ無事i文庫HD復帰。ばあさん、大喜びの巻。<br />
　ついでにiOS5.1へのアップデートも済ませたわけだが、おかげでIIJmio高速モバイル/Dの今月のバンドルクーポンが風前の灯だ(´･_･`)<br />
<br />
　まあしかしこんなことでも無い限りは足が遠のきがちなので、とりあえず喜ぶ顔を見られてよかったかなと。やれメールだSNSだつったところで、顔を合わせるにまさるものはないからねえ。<br />
　次はウェブの活用をレクチャ予定。<br />
<br />
　そして各種作業をしながら昨今の世情などについてもまたいろいろと語らったのだが、まあ世の中つらいことや考えなければならないこと、また闘わなければならないことも多々あるものの、そういうときに鬱<span style="font-size:x-small">《ふさ》</span>ぎがちな心を救ってくれるのがやっぱり文学なり芸術だよね、と。<br />
<br />
<i>「風立ちぬ。いざ生きめやも」</i><br />
<br />
　図らずも両者の口から同時に出た堀辰雄の一節にがっしりと握手をして、武蔵野のサンダーバードは颯爽と秘密基地への帰路についたのだった。]]></content:encoded>
		<dc:subject>iPhone／iPad</dc:subject>
		<dc:date>2012-04-13T00:09:36+09:00</dc:date>
		<dc:creator>植木四十六（国木田独居）</dc:creator>
		<dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
		<dc:rights>植木四十六（国木田独居）</dc:rights>
	</item>
	<item rdf:about="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/95/">
		<link>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/95/</link>
		<title>タブレットおばあちゃん 〜 後期高齢者iPadレクチャー第二回</title>
		<description>　今年の始め。
　オフクロ（後期高齢者後期）にiPad 2（Wi-Fi + 3G）をくれてやった。

　正月に顔を出したおり、前日に訪問した孫（＝俺の次女。社会人2年目）のiPhoneを見たり数十年来通っているカトリック教会で懇意にしている人が導入したスマートフォンやらを見たりしたらしく、なん...</description>
		<content:encoded><![CDATA[　今年の始め。<br />
　オフクロ（後期高齢者後期）にiPad 2（Wi-Fi + 3G）をくれてやった。<br />
<br />
　正月に顔を出したおり、前日に訪問した孫（＝俺の次女。社会人2年目）のiPhoneを見たり数十年来通っているカトリック教会で懇意にしている人が導入したスマートフォンやらを見たりしたらしく、なんやらそうしたものに興味がありそうなことをぶつぶつ呟き始めた——twitterではない——のがきっかけというか起爆剤。<br />
「アンタのそれは何？」<br />
「これはiPhone。○○○（下の娘）が使ってるのと同じだよ」<br />
「アタシにも使えるかしら」<br />
「うーん、iPhoneでも使えるかもしんないけど、iPadのほうがいいかもなー。画面が大きいし」<br />
　といった会話がありさらに、<br />
「○○さん（教会で懇意にしているオフクロよりふた回りぐらい下の前期後期高齢者男性）はパソコンっいうの？……なんか勉強して頑張ってるみたいだけど」<br />
「その気があるなら教えてやるぜ」<br />
　といったやりとりがあったのだが、その後やれパソコンを使うならWindowsはやめたほうがいいだの、これからオフクロがそっち方面に手を出すならばMacさえも飛び越えてiPadのほうが望ましいだの、そしてさらに俺もよせばいいのにAppleの歴史や哲学などを語りここに来て高齢者がiPadに手を出すケースが多いことを説明したら、iPadに興味を持った次第。<br />
<br />
　この経緯には、いわゆるITをまったく理解・体験しておらず、数年前にようやっと携帯を持ったにせよやっとワンタッチボタンで俺に電話をかけることしか出来ない彼女に対し、俺に寄せる“面倒”を緩和できるかもしれないという思惑があったからだ。<br />
<br />
　何せこちらの都合も考えずにちょっとした用事で電話をかけてくる。それがまず迷惑なのだが、その電話の理由のひとつに現在アメリカ留学している上の娘の消息を知りたいなどというものもあって、このことについては俺自身だってFacebookで彼女の近況を知るしかないわけで……まあつまりオフクロがiPadを入手すればその辺りが若干でも緩和できるかもしれないという期待というやつ。<br />
<br />
　で、全体的な流れとしてはなかなかいい感じになってきて、本人iPad買う気満々になってきて「よしよし」と思っていたら、最後のさいごに「金が無い」という大逆転。<br />
　そしてさらにそれが年寄りというものなのだがこれまでの自身が息子や孫にしてきたことなどの実績自慢や恨み節などが始まった日にゃあ、<br />
「うるせえわかったよ！ 俺が買ってやる!!」<br />
　という展開になったという次第。<br />
　ま、俺もいいかげん放蕩息子だったし、そのぐらいはな、と。<br />
<br />
　というわけで俺の居所地元で当時実施されていたソフトバンクの「新　アレ　コレ　ソレ　キャンペーン」にて上記を購入、数日後に届けたというわけだ。<br />
<br />
　まあ正直いえば俺自身が爪に火を灯す生活の中でのソフトバンクへの支払いが毎月ゴセンマンエン弱ほど増えるわけで逡巡しなくもなかったのだが、とどのつまりよかったなと思う。「いまのところ」という括弧付きだが。<br />
<br />
　つづめていうと、「オモロイ<span style="font-size:x-small">（©善作＠『カーネーション』）</span>」のだ。<br />
<br />
　いやなんつうか上記の思惑とは逆に俺個人の時間や肉体的負担は増えることになったのだけど（笑）、変なハナシだがAppleが最も↓な時代にそれを主とするテクニカルライターを経験し先のエントリ<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/91/" target="_blank">（→）</a>でも綴ったような経験があり、そしてかのジョブたんがiPad初号機を発表したときのラストの言葉、<br />
<strong>「テクノロジとリベラルアーツの交点」</strong><br />
　にボロボロ落涙した俺にとって、今更ながらまさにきょう（昨日）のハナシだが、<br />
「ホームページってのがよくわからないのよね」<br />
　と宣<span style="font-size:x-small">《のたま》</span>う、今週の『カーネーション』の糸子や奈津とほぼ同い年のオフクロにITと、ことにAppleを伝えることがたまらなく面白い。<br />
<br />
　例えば「メール」という俺らが日常あたりまえに使っている言葉さえ、そこからまず説明しなければならない。<br />
「メールってのは、手紙って意味だよ」<br />
　といったところで、それですぐに理解されるわけではない。メーラーを起動してメールをチェックする（＝iPadでいえば「メール」アプリをタップする）ということひとつにしても、<br />
「オフクロがよたよたと悪い足で寒い中を外のポストを見にいくでしょ？ それと同じなんだよ。この『メール』をぽんってしないと、メールつまり手紙は読めないんだよ」<br />
　といったことから始めければならない。<br />
　面倒くさいが、それがまたいい。<br />
<br />
　これ以上の詳細は割愛するが、なんのIT系知識も無い90歳になんなんとするしかも同居をしていないご婦人に短い時間をしてiPadの使いかたを教えるということは、激烈に困難だ。<br />
　がしかし、エキサイティングでもある。<br />
<br />
　面白いことに、iPadをしてもオフクロがすぐに理解できるメタファやインターフェイスもあれば、なかなか理解できないものもある。<br />
　そしてAppleそして何よりジョブたんってのは、こういうことを常に求めどうしたらいいかを考え続けている（た）のだと、あらためて思う。俺自身が、いい勉強をしているのだ。<br />
<br />
　Macintosh誕生以前の俺の大好きな“伝説”のひとつに、マウスのボタンをいくつにするかについて、Appleは4歳の女の子から84歳までご婦人に対し数年かけてモニタリングしたというのがある。<br />
　そしてとどのつまり、「1つがいい」。<br />
　多くは語らないが、大事なことだと思う。<br />
<br />
　そしてきょう「へえ〜っ!!」と思ったのだが、オフクロにiPadの「タップ」をさせると、いうことをきかないことが多い。<br />
　なぜかといえば、彼女はタップを“押し込み過ぎる”んだよな。例えばメールの送信ボタンを“ぽんっ”と触れてすぐに指を放せばいいものを、“ぐぐっ”と押しすぎる。そうすると、何の反応もしない。<br />
　それは彼女のIT機器に対する「畏れ」なのかなとも思ったのだが、Appleが提供しているタッチ操作の微妙な“匙加減”等々は出来る立場からすれば単純行為だが、それでも“取りこぼし”はある。この辺りは、今後のAppleの課題だろうな。<br />
（だから音声かもしれないが、それが正解とも限らない）<br />
<br />
　さてところで基本的には俺がオフクロと同居するなりもっと頻々に通うなりすれば、いわゆる”拾得”はもっと早いかもしれない。<br />
　が、それがなかなかどうしてというのが、<br />
「人、生きる。」<br />
　なのだな。正論だけではないのだ世の中は。<br />
<br />
　とまれ今宵の3時間ほどのレクチャで、オフクロはなんとかメールの送受信については拾得した模様。明日——というかすでにきょうだが——テストをする。<br />
<br />
　さらにところで。<br />
<br />
　iPadを“手渡す”にあたり、オフクロにとっての未知の道具に対していかに“あきらめない”かを逡巡したものだ。<br />
<br />
　その辺りの経緯についてはtwitterではつぶやいていたが、それはまた稿を譲る。<br />
　とまれまず考えたのが、俺自身にも大きな影響を与えているところの、“文学少女”としてのオフクロ。<br />
　だから譲渡時にアプリ「i文庫HD」をインストールし『青空文庫』の読みかたをまずレクチャした。わかったような、わかってないような感じだったが。あと、音楽の聴きかた（オフクロが好きそうな曲は入れといた）<br />
<br />
　そしてきょうのレクチャの中でオフクロがふといった。<br />
<strong>「メールとかホームページとかはよくわかんないけど、青空文庫は読んでるよ」</strong><br />
　いや、これはぐっと来た。<br />
「アンタ、えらいよ！ そんなばあさんは、そんなにいねえぜ!!」<br />
　と、言葉にもした。<br />
<br />
　あえて多くは語るまい。<br />
　きょうのレクチャはメールについてだったが、たとえそれが会得されないにせよ、よしよしと思うわけだね。<br />
<br />
　ITデバイスはヒトをしあわせにしてこそのモノってなハナシであって、ここまで綴ってきたような半ば以上に心象的なもんがあっても、それはそれでいいじゃねえた。是か非か、性か否か——そんないわゆるデジタルでは語れないものをもたらしてくれるから、俺はAppleが好きだ。そんなことを、あらためて思った。<br />
<br />
　まあ今後ばばあがくたばるまで面倒みなきゃいけねえのか俺とか現象的にはややこしいもんも多々あるが、まあまあまずまず、い〜い感じに“俺が出来ること”をしてるかな……なんて、ちっと考えた次第。<br />
<br />
　というわけで、オフクロがiPad入手について“手書き”で教会報に載せたらしい文章を。拡張子が「.htm」ってあたりが1990年代、Windows 98とか臭いっすね（笑）<br />
<a href="http://www10.plala.or.jp/cathkasu/timote.htm" target="_blank">http://www10.plala.or.jp/cathkasu/timote.htm</a>]]></content:encoded>
		<dc:subject>iPhone／iPad</dc:subject>
		<dc:date>2012-03-20T03:28:38+09:00</dc:date>
		<dc:creator>植木四十六（国木田独居）</dc:creator>
		<dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
		<dc:rights>植木四十六（国木田独居）</dc:rights>
	</item>
	<item rdf:about="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/94/">
		<link>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/94/</link>
		<title>Siriアナ 〜 Kyokoちゃんと遊ぶ #iPhone #Apple</title>
		<description>　こなさん、みんばんは。
『カーネーション』について綴った前エントリが空前の22拍手（本日現在）を得て気を良くしている、国木田独居こと翡翠伊作です(^o^)

　さて、発表されましたねiPad新モデル。その名も「新しいiPad」（笑）
　まあiPhone含めこれまでのように数字だのGSだの...</description>
		<content:encoded><![CDATA[　こなさん、みんばんは。<br />
『カーネーション』について綴った<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/93/" target="_blank">前エントリ</a>が空前の22拍手（本日現在）を得て気を良くしている、国木田独居こと翡翠伊作です(^o^)<br />
<br />
　さて、発表されましたねiPad新モデル。その名も<a href="http://www.apple.com/jp/ipad/" target="_blank">「新しいiPad」</a>（笑）<br />
　まあiPhone含めこれまでのように数字だのGSだのSだのがくっついて「どれが誰の子ぉやらわかりません（笑）」状態よりも、Macのようにすべて無印として世代で区別するほうがすっきりしてて個人的にはいいと思います。<br />
　で、ちょっとだけ悩みましたがiPad 2を見送って2年弱“初号機”を愛用してきたこともあり、ここはやはり“三世”は買《こ》うちゃろちゅうことで、さっそくオンラインのApple Storeでぽちっちゃりました（売る際に安ぅなるのは覚悟の上で、無料刻印なんかも含めて。どういう刻印だかはとりあえずナイショ）。<br />
　到着が楽しみ♪( ´▽｀)<br />
<br />
　ところで同時にリリースされた「iOS 5.1」も、さっそく朝起きてすぐにiPadとiPhone 4Sにインストールした。<br />
　iPadのほうはまあせいぜいが不具合修正といったところだが、iPhoneのほうのお楽しみはやっぱ何といっても<span style="font-size:large"><a href="http://www.apple.com/jp/iphone/features/siri.html" target="_blank">「Siri子さん」</a></span>。<br />
　ちなみに、ロゼット洗顔パスタではない（←それは白子さん）<br />
　<br />
　日本語版Siri子さんの声は、MacやiOSでも以前から「テキスト読み上げ」機能に使われていた『Kyoko』さん。<br />
　俺はこれまでもけっこうKyokoさんとは遊んでいて、「『モヤさま』ごっこ」をしたりtwitterでも<a href="http://twilog.org/tweets.cgi?id=kawasemi&word=Kyoko" target="_blank">こんなこと（→）</a>をつぶやいたりしていただけに、彼女の声がそのまま採用されてよかったよかったって感じ。アナウンス＝会話がいかにもな感じなのもご愛嬌というか、KyokoちゃんかわいいよKyokoちゃん♡（ここ、ヒロシ＠野沢雅子さまでお願いします）<br />
<br />
　というわけでご多分に漏れずきょう一日少しばかり試してみたのだけど、まあ何というかSiriやっぱ凄いすっね。<br />
<br />
　いま現在はサーバが混雑しているのか正常動作しなかったり、あるいは、<br />
「椎名林檎の『カーネーション』を再生して」<br />
　で、なぜか佐野元春『ガラスのジェネレーション』が再生されたりしてそうしたまだまだ感は否めないものの、こうした初動のお茶目さんぶりもまた楽しんでしまうことこそが林檎派クオリティというもの。<br />
（Kyokoちゃんの名誉のために付け加えると、インストール直後にはちゃんと林檎の『カーネーション』を再生してくれた）<br />
<br />
　今後どんどんと日本語版SiriもブラッシュアップされていってHAL9000やらナイトライダー的になっていくのかと思うと、わくわくする次第。<br />
　つか、どうしてiPad“三世”でSiriがサポートされなかったのだろう？ 教えて、エロい人！<br />
<br />
　ところでSiriを使ってみてあらためて思うのは、日本と諸外国との「声によるコミュニケーション」の考えかたというか文化の違い。<br />
　このことの詳細はまた稿を別にしたいと思うのだが、Siriなどが一般的になってくると、例えば公共交通機関内などでの「通話はご遠慮ください」なども見直しが必要になってくるのではないだろうか。<br />
　他国の実際は知らないのだが、国内の列車内などで西欧人や中国人などが携帯通話のみならず複数人での会話に実に遠慮が無いとライダーなのはよく体験するところ。それは彼らがマナーを知らないというのではなくて、そも「公共の場所では静かにする」というのが、日本や一部の国だけでの価値観なのではなどと考えたりもするわけだ。<br />
　ヘッドセットによる通話なんかもそうで俺はiPhone以降わりと路上を歩きながらヘッドセットで通話をしちゃう人だったりするんだけど、やっぱハタから見りゃあ変な人だよなと。<br />
　そんなことも含め、色々と考えさせてくれるKyokoちゃん／Siri子さんだったりするわけだね。<br />
<br />
　というわけでそろそろ蓐《しとね》へ。<br />
　さっきKyokoちゃんにお願いして、明朝の目覚ましアラームをセットしてもらった俺ですよ。<br />
<br />
　サーバの輻輳（？）も回復したみたい。<br />
「おやすみ、Siri」<br />
　って話しかけたら、<br />
「おやすみなさい、Kawasemi」<br />
　だって!!<br />
<br />
　いゃあん、やっぱかわいいよKyokoちゃん♡（笑）]]></content:encoded>
		<dc:subject>iPhone／iPad</dc:subject>
		<dc:date>2012-03-09T01:20:33+09:00</dc:date>
		<dc:creator>植木四十六（国木田独居）</dc:creator>
		<dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
		<dc:rights>植木四十六（国木田独居）</dc:rights>
	</item>
	<item rdf:about="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/93/">
		<link>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/93/</link>
		<title>スター・うおぉーっ図 ジダイの帰還 〜 @machiko_ono 版 #カーネーション 127話 大団円</title>
		<description>　連続テレビ小説『カーネーション』。“尾野真千子版糸子”が、きょうで終わった。
　いま、5回目を鑑賞しながら、このエントリを綴っている。

　いつもにも増しての、いわゆる「神回」。
　この国は、いまこういうときだからこその、素晴しいドラマを得たと心から思う。

　まずは尾野真千子さん、本...</description>
		<content:encoded><![CDATA[　連続テレビ小説『カーネーション』。“尾野真千子版糸子”が、きょうで終わった。<br />
　いま、5回目を鑑賞しながら、このエントリを綴っている。<br />
<br />
　いつもにも増しての、いわゆる「神回」。<br />
　この国は、いまこういうときだからこその、素晴しいドラマを得たと心から思う。<br />
<br />
　まずは尾野真千子さん、本当にお疲れさまでした。空前のヒロイン像を見事演じきったことに、感服しまた感謝いたします。<br />
<br />
　さて——<br />
<br />
　一部のすでに鬼籍に入った人々を除く劇中のオールスター総登場ともいえる“もうひとつの最終回”。<br />
　それを初回と同じく——しかし夜の——だんじり祭りから始めるあたりがまず、このドラマに通底するリフレインの妙。そして相変わらずの、みんなそれぞれのがちゃがちゃ感（笑）。こういうのが、上手いなあと思うわけだ。<br />
　そしてしれっと「チビはもう増えすぎて、どれが誰の子ぉやらわかりせん」というナレーションを挟むｗ いやー、たまりませんな。<br />
（後述するがこれがまた、クライマックスに繋がる）<br />
<br />
　そして導入部としてのがちゃがちゃのあとに千代お母ちゃんのいよいよ危険が危ないという場面で視聴者を不安にさせ、しかし恵さんのやさしくきっぱりとした言葉でぐっとさせる……と思いきや、さらに直後に同じく恵さんの奇声と女走りですぱーんと笑かせられるｗｗｗ<br />
　いやもうね、脚本、演出、そして演技等々に、いいように踊らされている俺たちファン(^_^;)<br />
<br />
　ところでこの『カーネーション』の魅力というのは、まさに上記シークエンスに表れているのではないかと俺なんか思うわけだ。<br />
<br />
　例えばいよいよヨイヨイになっている木之元や木岡のおっちゃんなども含め、あえて——カーネーション風に乱暴にいえば——老人ボケというやつは、「老いのかなしみ」があると同時にまた、まさに「ボケ」ではないが或る種の可笑しさも伴うものだ。千代お母ちゃんを思わず怒鳴ってしまった糸子のように老人ボケに対して怒ったり悲しんだりすることもあるが、あまりにも突拍子もない言説・行動に対して吹きだしてしまうこともある。<br />
　つまり、「苦笑い」とか「泣笑い」とかいうやつ。<br />
　苦しみだけでも泣きだけでもなく、そこにまた笑いもあるということ。<br />
<br />
『カーネーション』が素晴しいのは、こうした“どちらともつかず”が常に描かれてきたことだと思うのだ。<br />
　表裏一体とか、両側面というか、間《あいだ》とかいったもの。人や、物事や、歴史的事実とか、そういったものに対して、二元的とか、一面的に描かれてはけっしていない。<br />
<br />
　視聴者の各々が自身の来し方を振り返ってみれば歴然だが、ヒトが生きる、生きていくということは、けっしてゼロかイチかとか、勝ち組か負け組かとか、そんなモンでは語れないものだ。<br />
　それが——ことにこの数年、さらにいえばネット上でのやりとりなどにおいて——どうにも是か非かばかりの短絡的な言説や価値判断が目立つ。<br />
　まさに今週の『カーネーション』の前半における病床の玉枝さんの台詞等々においてもネット上において、やれ自虐史観だのといった“祭り”になったことは記憶に新しいわけだが、いやいやいやいや、『カーネーション』ってのはそういう論争云々に落としてオシマイってなことを描いてきた作品ではないでしょうということ。<br />
<br />
　夢と理想と現実と。成功と失敗と。思い通りにいかないことたち。その、振り子の加減。<br />
　それを、丁寧に。<br />
<br />
　後述というかいうまでもなく今回の大クライマックスは善作お父ちゃんが「（回想）」でも「（写真）」でもなく再登場したことにあるわけだが、その善作にしてもドラマ当初は或る判断基準にのみ固執するかたがたにとってはドメスティックバイオレンスばかりがカンに障ったらしくさんざん批判されたわけだけれども、いまや善作無しでは夜も日も明けないほどの大ファンを獲得している。<br />
　そういうことだろう。<br />
　<br />
　勝てばいい、売れればいい、繁栄すればいい、否定すればいい、批判すればいい、品行方正で爽やかであればいい（笑）、等々……何かこう、くどいようだが是か非かとかイチかゼロとかそうした判断ばかりできた、ことに近現代史に対しての、渡辺あやの、静かな、力強い“思い”を感じるわけだ。<br />
<br />
　さてそしてまたきょう糸子は「岸和田で生きていく」を北村に対し宣言したのだけれども、この言葉に到るまでの五軒町やその周辺の人々とその関わりを丁寧に描いてきたからこその力強さがある。<br />
「どれが誰の子ぉか〜」という台詞は、糸子が根源的に“岸和田の人”“地の人”であることの表出だろうと思う。<br />
　かの東北の被災者のかたがたにおいても先述のようにゼロかイチかだけで考えれば、極端ないいかたをすれば「とっとと故郷を捨てて別天地で頑張ればいいんじゃない？」ってのが、短絡的にいえばそうなるかと思う。<br />
　が、もちろんそうではないわけで、そうしたことがじりじりと視聴者の潜在意識（イドの怪物©『禁断の惑星』）にうったえるわけだ。こういうところが、『カーネーション』は上手い。<br />
<br />
　そして北村との別れ。<br />
　20年以上、ほとんど半同棲というか疑似夫婦——優子、直子、聡子にとっては父親——だった北村。<br />
　が、その北村は、ここに来て、いわば“グローバル・スタンダードへの勝負”をしようとしているわけで、その思考／指向は、いかにも野郎っぽい（♂にはそうした性癖があるもんだ）。そしてそうした北村に対し、“地に生きる”を選んだ糸子。<br />
　ここがまた、見事というしかない。<br />
　さらに北村はいわば“人生最後の大勝負”を指向しつつ、この先は“独り”になる糸子に対して精一杯の思いやりを見せる。<br />
　男として。<br />
　ホンモノの野郎として、ご婦人に対しての、精一杯の思いやりを以て。<br />
　素晴しいなあ。<br />
『カサブランカ』『ラ・マンチャの男』『ルパン三世 カリオストロの城』『シラノ・ド・ベルジュラック』に匹敵する、野郎のダンディズムここに極まれりだ。<br />
　そして糸子に一蹴されるトコがまた（笑）。これぞ、泣笑いだ。<br />
　ほっしゃん。 @hosshyan も本当に、お疲れさまでした(T^T)<br />
<br />
　さて、大クライマックスについて。<br />
<br />
　先述のようにほぼスターたち登場の場面において、千代と善作を描くのは大反則(ToT)<br />
　これもまた、直前に到るまで千代お母ちゃんを丁寧に描いてきたことの勝利だ。<br />
<br />
　このシークエンスはもういくつもの言葉を重ねても足りないが、糸子の、<br />
「ウチは宝抱えて生きていくよって」<br />
　の直後、千代が集まったみんなをしあわせそうに舐めたあとに木之元と木岡の両おっちゃんの合間から立ち現れるというのが素敵すぎる。<br />
　そしてさらに、一所懸命に二階に上がった千代が善作に並んだとたんに、また楽しげなみんなの映像を一瞬挟むとか、もうね、どうしたものかと。<br />
（そういえば今回の冒頭の「いつもの年寄り組は神社のお参りを済ませたら善ちゃんに報告に来て」とか、善作はいわゆる「アナログハブ」だったんだろうな。「〜作」の運命かねｗ）<br />
<br />
　先述のように善作といえば“殴る”（とか、ケーキをひっくり返すとか）が目立ったわけだけれども、同じ殴るにしても思いがこもった場合もあれば理不尽な場合もあった。<br />
　そこが『カーネーション』の凄いトコで、くどいようだが殴るをして単にドメスティックバイオレンスということに落とすのはいかがかというハナシだ。多様性を丁寧に描いてきたこと。<br />
<br />
　そして結婚前／結婚後の善作がどうした行動に出ようが——時に揺れるにせよ——彼のことを好きで好きでしょうがなかった千代。“大お嬢様”が、駆け落ちをした意味。それをまた、千代自身の“言葉”や“主張”ではなくて、都度の場面で描くことの『カーネーション』の素晴しさ。<br />
　そしてクライマックスを幻想か実際か知らないが、“見える”で描くこと。<br />
『スター・ウォーズ ジェダイの帰還』のラスト、オビ＝ワンやヨーダやアナキンが“見える”に勝とも劣らない映像。<br />
　19世紀末のベルギー象徴派ジャン・デルヴィルの絵画に『魂の愛（The Love of Souls）』というのがあるだけれど、まさにそれを感じた次第。<br />
　<br />
　ところで「勝とも」といえば（笑）、“夏木糸子”に変わる直前に“オノマチ糸子”が前にするミシンもまた気になるところ。<br />
「STINGER」のロゴが見られないので、場所が二階ということもあり、糸子のミシンではなくて、かの勝さんや周防が使ったミシンではないだろうか。<br />
　だとしたらここにも、糸子が愛した者たち、“オノマチ糸子オールスターズ”を感じるわけだ。<br />
<br />
　あ、あと、“オノマチ糸子”のラストのアップ直前、ゆっくりとカメラが上に上がっていくトコで、<br />
「お誂え専門」<br />
　という文字だけ映したのも凄いなあと思った次第。<br />
<br />
　さてとまれこの127話は、本当に「オノマチ糸子の最終回」として相応しかった。<br />
<br />
　脚本、演出、その他すべてのスタッフとキャストが、オノマチ糸子への敬意をここに集中させたのだろうな。<br />
<br />
　そして——<br />
　ここまでの時代が美しく纏めあげられ、次代へと繋がっていく。<br />
<br />
“夏木マリ糸子”もまた、今回のラストと予告編を観る限りは十分以上に期待できそうだ。<br />
<br />
　来週弥生3月いっぱい、またワクワクしながら期待したいと思う。<br />
<br />
　つか、「大最終回」では『三人の糸子のうた』を聴きたいなあ。<br />
]]></content:encoded>
		<dc:subject>テレビ</dc:subject>
		<dc:date>2012-03-03T22:40:42+09:00</dc:date>
		<dc:creator>植木四十六（国木田独居）</dc:creator>
		<dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
		<dc:rights>植木四十六（国木田独居）</dc:rights>
	</item>
	<item rdf:about="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/92/">
		<link>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/92/</link>
		<title>すぷーん腹一杯の幸せ ～ 15周年記念300円カレー</title>
		<description>　俺が愛してやまない西国分寺の至宝『カレーハウス すぷーん』（→食べログ）が、めでたく15周年を迎えたとの由。　てなわけで夕餉は記念の300円カレー（＋大盛60円）を。　いんや～ぁ、んまかったヽ(；▽；)ノ　きょうとあしたの2日間限定。最寄りのかたはぜひに。　ちなみに近隣在住者はテイクアウトを電話予...</description>
		<content:encoded><![CDATA[　俺が愛してやまない西国分寺の至宝<strong>『カレーハウス すぷーん』</strong><a href="http://r.tabelog.com/tokyo/A1325/A132502/13024922/" target="_blank">（→食べログ）</a>が、めでたく15周年を迎えたとの由。<br /><br />　てなわけで夕餉は記念の300円カレー（＋大盛60円）を。<br /><br /><a href="http://file.bunshi.blog.shinobi.jp/306812275836.jpg" target="_blank"><img src="http://file.bunshi.blog.shinobi.jp/306812275836.jpg" width="320" height="426" /></a><br /><br />　いんや～ぁ、んまかったヽ(；▽；)ノ<br /><br /><a href="http://file.bunshi.blog.shinobi.jp/306812717646.jpg" target="_blank"><img src="http://file.bunshi.blog.shinobi.jp/306812717646.jpg" width="320" height="426" /></a><br /><br />　きょうとあしたの2日間限定。最寄りのかたはぜひに。<br />　ちなみに近隣在住者はテイクアウトを電話予約が吉( ´ ▽ ` )ﾉ]]></content:encoded>
		<dc:subject>食</dc:subject>
		<dc:date>2012-03-02T18:43:58+09:00</dc:date>
		<dc:creator>植木四十六（国木田独居）</dc:creator>
		<dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
		<dc:rights>植木四十六（国木田独居）</dc:rights>
	</item>
	<item rdf:about="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/91/">
		<link>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/91/</link>
		<title>2002年の挑戦 〜 過去からの叱咤激励</title>
		<description>　三十路の後半に「うつ」を患った。

　当時、Macを主としたフリーランスのテクニカルライターおよびイラストレーターを生業としており、雑誌等々の記事だけではなく十数冊の書籍を上梓するなどしていたのだが、仕事が上手くまわらないなどが引鉄となった。だがまあそのことは自己責任なので、ここで細かくは語ら...</description>
		<content:encoded><![CDATA[　三十路の後半に「うつ」を患った。<br />
<br />
　当時、Macを主としたフリーランスのテクニカルライターおよびイラストレーターを生業としており、雑誌等々の記事だけではなく十数冊の書籍を上梓するなどしていたのだが、仕事が上手くまわらないなどが引鉄となった。だがまあそのことは自己責任なので、ここで細かくは語らない。<br />
<br />
　で、そのうつが底を見て上昇に転じ始めたころ、取引先のひとつの出版社から、とあるテーマの書籍を執筆しないかとのオファーがあった。<br />
　そのテーマというのが当時の俺も興味を持ちはじめていたもの。なので乗り気満々でミーティングに臨んだのだが、その最後に執筆期間が一ヶ月弱というので大いにたまげたものだ。<br />
　が、ここで勝負しないと駄目だろうと思いオファーを受け、とどのつまり期日前に脱稿。しかも珍しく執筆が乗りにのって予定ページ数を大幅にオーバーしてしまう始末。でそのことについては編集者にご迷惑をかけたが、しかしありがたいことに俺が上梓した書籍の中では最も売れることになった。<br />
　そういう意味ではタイトなスケジュールがむしろバネになったと思われる。ふさいでいる場合ではないというか、そういった。<br />
<br />
　そしてその直後に上梓した——俺がそれ以前4年にわたりこだわってきた——あるMac用ソフトウェアの最新バージョンの解説本とともに某大手書店の「Mac関連本ベストセラー」でワンツーフィニッシュを飾り、俺はそれらをして、三十路半ばからひょんなきっかけで携わったテクニカルライターという仕事に対し、短い年月だったもののとりあえずのケリをつけたと考えたものである。<br />
　その初版が2002年の3月。<br />
<br />
　それからややしばらくして俺はテクニカルライターよりも前からの夢に対してそれを実現するべく歩を進めることになったのだが、未だ海のものとも山のものともつかずに、相も変わらず外勤めにて糊口をしのいでいる次第だ。まあそのことも自己責任なので、ここでは多くは語らない。<br />
<br />
　ところでまさにきょうのこと。<br />
　その外勤め先においてチーフさんの机の上に、その書籍がぽんと置かれていてたまげた次第だ。<br />
<br />
　訊けば同じく外勤め先の別の先輩が昔に購入、いらなくなったので譲られたとの由。まさかこんな形で自作品と10年ぶりの再会をするとは思わなかった。もちろん俺も所有はしているが、もう何年も押し入れの奥にしまったままだ。<br />
　いやあ、懐かしかった。<br />
<br />
　もちろんIT系の書籍なので書かれていることは古く、現在において役に立つ部分は少ない。が、譲渡した側の先輩にも訊いたのだが、仕事において大いに勉強になったとの由。うれしいものだ。<br />
<br />
　そしてひさびさに自身最高の著書を手にして思ったのは、その重さと厚み。上記のように予定よりもオーバーした内容のためにびっしりと詰め込まれた文字たち（もちろん編集者の才覚で読みやすくなっているが）。<br />
<br />
　あれから10年——いろいろあった。本当に、いろいろ。<br />
　確実に体力も落ちているし10年も経ってまだ夢がカタチになっていないという焦りもまた降り積もっていくばかりだが、<br />
「俺、これを綴ったんだなあ……」<br />
　と。<br />
　あの状況下で、あの期間で。<br />
<br />
　正直、武者震いがした。<br />
<br />
　ちなみに<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/67/" target="_blank">本ブログにも綴った</a>先月2月4日立春に結婚した親友は、俺が新たな夢に向かって歩を進めて某官公庁の警備隊に勤めていたときに知り合ったわけだが、そのきっかけは彼が、上で綴ったところの某書店で第二位を飾った著書の購読者だったということが出会いのそもそも。<br />
　当時は部署が違うこともあり二三回程度しか顔を合わさなかったがその後mixiで再開し果ては先エントリのようにこの俺が人前結婚式の立会人を務めることになるのだから、ニンゲン何がどうなるかわかったものではない。<br />
　そしてそれはきっと、一所懸命の結果なんだろうなと。<br />
<br />
　その彼の結婚式といいきょうのことといい、因縁めくが今年は“そういう年”なのかもしれない。<br />
<br />
　この10年の事どもに後悔も多々あるが、だがいっぽうで学ぶことも少なくない。<br />
　正直なところあのまま踏ん張ってMac／Apple系のライターでいればいまごろはウハウハで真鶴に別荘のひとつも建っていたかと思わなくもないが（笑）、まあこの10年がゆえに気づいたこと、深みを知ることができたことのほうがたぶん大事だろう。<br />
　そしてそちらのほうが、俺の本来的「夢」に近しい。<br />
<br />
　ついこないだもひさびさの腸閉塞で寝込んだとか過去からの負の応酬や肉体的／精神的な老いを感じることもまた少なくない現実があるが、しかし芸術は長い。<br />
<br />
　この先の俺がまたどうなるかわからないし、とどのつまり世間に対して何もできないままに朽ちていくかもしれないとは思う。<br />
　が、とまれ、こうして過去から叱咤激励されまだまだ燃えることができるのはありがたいなあと思った次第だ。<br />
<blockquote>　ー己六才より物の形状《かたち》を写《うつす》の癖《へき》ありて、半百の此《ころ》より数々《しばしば》画図《ぐゎず》を顕《あらは》すといえども、七十年前画《えが》く所は実に取るに足《たる》ものなし。<br />
　七十三才にして稍《やや》禽獣虫魚《ちやうじうちうぎよ》の骨格草木の出生を悟し得たり。<br />
故に八十六才にしては益々進み、九十才にして猶其奥意《なおそのおうい》を極め、一百歳にして正に神妙ならん歟《か》。<br />
　百有《いう》十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん。<br />
　願くば長寿の君子予言《よこと》の妄《まう》ならざるを見たまうべし。</blockquote><br />
　四十五十は洟垂れ小僧。<br />
　画狂人葛飾北斎卍翁ではないが、“ほんたう”を見られ表現できるのはまだまだこれからかということを信じ、あらためて背筋を伸ばした。<br />
<br />
　そんな、過去からの叱咤激励というか挑戦状を受け取ったきょうだったよ。（あ、すでにきのうかｗ）<br />
<br />
　頑張る。]]></content:encoded>
		<dc:subject>雑感</dc:subject>
		<dc:date>2012-03-02T00:35:01+09:00</dc:date>
		<dc:creator>植木四十六（国木田独居）</dc:creator>
		<dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
		<dc:rights>植木四十六（国木田独居）</dc:rights>
	</item>
	<item rdf:about="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/90/">
		<link>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/90/</link>
		<title>どこもの領分 〜 BIGLOBE 3G導入</title>
		<description>　去る2月の3日、節分。
　進駐軍時代から続く立川のバー『潮』に、マスター“ジミー”さんの誕生日をお祝いに行ったのはブログでも綴った。（→）

　ところでこの『潮』、ビルの地下1階でさらに奥まった構造なので、ご多分に漏れずソフトバンクモバイルはバリバリに圏外となる（笑）
　まあキャバクラじゃ...</description>
		<content:encoded><![CDATA[　去る2月の3日、節分。<br />
　進駐軍時代から続く立川のバー『潮』に、マスター“ジミー”さんの誕生日をお祝いに行ったのはブログでも綴った。<a href="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/66/" target="_blank">（→）</a><br />
<br />
　ところでこの『潮』、ビルの地下1階でさらに奥まった構造なので、ご多分に漏れずソフトバンクモバイルはバリバリに圏外となる（笑）<br />
　まあキャバクラじゃあるまいしオーセンティックなバーでは<s>チンチン</s>iPhoneをいじくるよりもゆったりとグラスを傾けたいところなので別段それはそれでいっこうにかまわないのだが、ビル共同のトイレに出たついでに店外では電波が入るためtwitterをチェックしたら、同行した親友がしっかりと店内から、<br />
「潮なう。」<br />
　とかつぶやいていた（笑）<br />
<br />
　ヤツも同じソフトバンクiPhoneなので「はて？」とちょっと思ったのだが、すぐにハタと気づいた。<br />
　ああなるほど、たしかヤツぁ<strong>ドコモ回線のモバイルWi-Fiルータ</strong>を持っていたなと。<br />
　というわけでさっそく「この野郎、俺にも繋がせろ」ってんで奴さんを恐喝（笑）してWEPだかWPAパスワードを俺のiPhoneを渡して直接入力させ上記エントリを店からアップしたのだが、<br />
「なるほど、これが音に聞くドコモ回線か」<br />
　と、あらためて感じ入ったものだった。<br />
<br />
　そもそも俺は昔からi-mode等を含む「ケータイ技術／文化」というものにはあんまり興味と必然性を感じない人で、いわゆるモバイル端末についても、現在《いま》でいうスマホ的な“機能”を最重要視してきた。<br />
　つまり、<br />
<strong>「パソコンと同じく、本来的なインターネット（The Internet）を利用できること」</strong><br />
　この辺りについては語りだすと長くなるからハショるが、だから俺の中での価値観として携帯のキャリアなんて二の次三の次であって、フルブラウザやPOPメールに対応したウィルコムのPHSやスマートフォンを遍歴し、iPhoneも“iPhoneだから”選択したという経緯がある。<br />
　つまるところ、電波の繋がり具合云々よりもデバイスの可能性を重要視するってハナシ。<br />
　別にねえ、上記のバーでのスタンスじゃないが俺は電波が繋がらなければ、<br />
「本を読め、星を眺めろ。」<br />
　な人だから。<br />
<span style="font-size:x-small">（だから未だに「iPhoneはドコモじゃないから」とか「ドコモから出ればiPhoneにする」とかいってる人々は、マジ不幸だと思う。大事なのは、ユーザ体験）</span><br />
<br />
　さてところで上記の節分より2日前、つまり2月になっていきなり発表された、<br />
<strong><a href="http://join.biglobe.ne.jp/mobile/3g/campaign/" target="_blank">『BIGLOBE 3G』</a></strong><br />
　に、ニュースリリースを見た瞬間に脊髄反射（笑）で申し込みをした俺がいるわけですよまたいっぽうで（笑）<br />
<br />
　2009年の8月にいまもこのエントリを綴っているところのMacBook Air（MBA）第二期版を購入したのだが、少し遅れた11月に、いわゆるノマドワークのためにイー・モバイルの「Pocket WiFi（初号機）」を契約した。<br />
　これはこれでその後のiPad Wi-Fiモデル（初号機）含め大活躍をしたのだけど、昨年11月に2年縛りが切れるにあたり完全解約をして、以来しばし、MBAやiPadはモバイルインターネットの環境が無かったわけだ。<br />
　で、その間にやれ「So-net 3G」だとか「イオンSIM」だとか色々と逡巡してきたのだけれど、BIGLOBE 3Gはやっとこさ俺のニーズと懐具合に合ったものだと考え、契約した次第。<br />
　<br />
　サービスの詳細は上記リンクにて確認してもらいたいものだが、やっぱ低廉でかつドコモ回線のMVNO（回線借り受け）であるのが大きい。しかも俺が申し込んだプランでは——2年縛りが発生するものの——ルータ（端末）も無料という太っ腹サービス。<br />
<span style="font-size:x-small">（そもSIMフリー端末を所有している人にとってはこの直後に発表されたIIJmioの<a href="https://www.iijmio.jp/guide/outline/hdd/?l=0m163a" target="_blank">『高速モバイル/D』</a>なんかも訴求力があると思うが、そも端末を所有していない立場からすると端末がタダでもらえるBIGLOBE 3Gはトータルでいいと思う）</span><br />
<br />
　回線速度やら料金等々についてはそこは算盤の問題で他にも選択肢が多々あると思う——たとえば数日前に発表されたソフトバンクの<a href="http://mb.softbank.jp/mb/data_com/product/mobilewifi/101si/" target="_blank">『ULTRA Wi-Fi 4G』</a>なんてのはいわば<strong>「iPhone割り」</strong>みたいなんもあるし十分以上に魅力的——だが、俺個人としてはここはやっぱり前言撤回もはなはだしいが（笑）、<br />
「繋がる」<br />
　と料金等々の“バランス”を選んだ次第。つまりは、<br />
<strong><span style="color:#0066FF">「この料金で小笠原父島でもiPhone使えるならいいんじゃね？」</span></strong><br />
　って感じ。<br />
<br />
　つーかですねー、まあ何だかんだいいながら<strong><span style="color:#339933">真鶴半島の突端</span></strong>でも、つぶやければいいなあと。<br />
<span style="font-size:x-small">（あえてtwitter封印してあらためて思うのは、瞬間風速的心象の発露がいかに大事かってこと。ま、もうちっとストイックに行くけど）</span><br />
<br />
　<strong>というわけでとりあえず、BIGLOBE 3Gにはまずまず満足してるよってなハナシ。</strong><br />
<br />
　本エントリに関しては質疑応答大歓迎。俺も暗中模索なう。<br />
<br />
<br />
蛇足：<br />
　ところできょうはいよいよ地デジ化で空いた“プラチナバンド”たる900MHz帯をどこが獲得するか発表される日。<br />
　禿（ソフトバンク）頑張れ！……つか、禿以外だったら怒るよマジ俺。]]></content:encoded>
		<dc:subject>IT（情報技術）</dc:subject>
		<dc:date>2012-02-29T07:27:54+09:00</dc:date>
		<dc:creator>植木四十六（国木田独居）</dc:creator>
		<dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
		<dc:rights>植木四十六（国木田独居）</dc:rights>
	</item>
	<item rdf:about="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/88/">
		<link>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/88/</link>
		<title>星の往時 ニューヨークへ行く 〜 映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』</title>
		<description>　ひと月ほど前にCSでたまたま『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』をひさびさに観て以来、ノスタルジア系の映画にハマっているのは以前にも綴ったとおり。

　で、もうひとつ俺の中で波及したのが、「アメリカ近現代史」への興味（って、ことアメリカ合衆国に関しては近現代史しかないんすけど、もうち...</description>
		<content:encoded><![CDATA[　ひと月ほど前にCSでたまたま『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』をひさびさに観て以来、ノスタルジア系の映画にハマっているのは以前にも綴ったとおり。<br />
<br />
　で、もうひとつ俺の中で波及したのが、「アメリカ近現代史」への興味（って、ことアメリカ合衆国に関しては近現代史しかないんすけど、もうちっとな側面も含め）<br />
　ことに、いわゆる裏面史——歴史の教科書などでは語られない、民衆の歴史だ。<br />
<br />
　正直いって俺のこれまでの人生の中でアメリカ史ってのは日本や欧州のそれに比較してあんまり興味が無かった。<br />
　が、何がきっかけだったか忘れたがこの一年ほど前から何となく心の奥底にくすぶりはじめ、同じく数ヶ月前からの映画音楽へのひさびさのマイブームやら、或る日のGoogleロゴがマーク・トウェインだったりしたこと、そして米軍基地時代の立川への興味から、ここに来て一気に燃え上がった感がある。<br />
<br />
　そうなると——これはまあ何においてもそうなのだが——俺の“とば口”のテキストとなるのはまず映画（笑）<br />
　というわけで今宵、6〜7年以上前に観たこともないままにDVDを購入しさらにこれまでプレーヤに乗せることの無かった（どーなのそれ）、<br />
『ギャング・オブ・ニューヨーク』<br />
　を観てみた。<br />
<br />
　いんやぁーっ！ 面白かった!!<br />
<br />
　世間的にはそう評価は高くないようだし俺も正直なところ大名作だとは思わないが、これはどうにも“いまの俺”にはハマる作品だった。<br />
<br />
　物語の舞台は19世紀半ばのニューヨーク。<br />
　1848年（北斎の最晩年）に前日譚があり、1862〜63年（国芳や広重の晩年）がメインとなる。南北戦争時代であり、日本でいえば幕末。高杉晋作とか坂本竜馬とか新撰組だとかが活躍する、ちょっと前。（1862年は「寺田屋事件」の年）<br />
<br />
　5本の道が交差する街の利権を暴力によって争うハナシなのだが、なんつーかこう、当時のニューヨークってなあ、日本に負けず劣らず、野蛮な時代だったんですね。まあびっくり。<br />
<br />
　もちろんマーティン・スコセッシ監督ならではの、あるいは映画的誇張はあるにせよ、抗争する二代勢力が飛び道具を拒否して刃物で闘うのを選ぶとか、自警消防団（つまりは「火消し」だ）が現場で喧嘩になるとか、いやまったく、<br />
「江戸かっ!!??」<br />
　と、ツッコミたくなることしきり。<br />
（手にしている武器《えもの》がいちいちマンガ『無限の住人』みたいなんも素敵ｗ）<br />
<br />
　物語の縦軸は父を殺された主人公の復讐譚なのだが、横軸としてちゃあんと当時のアメリカの歴史を描いているのもいい。“敵”が米英戦争を立脚点としてるとか大きな主題が移民問題とかあるいは奴隷解放とかまだ西部ではドンパチやっていた中での東部での選挙／民主主義の試みなんて辺りを混ぜているのは、まあ当たり前といえばあたりまえかもしらんがとてもよろしい。<br />
　さらにいえばヒロインが使う短銃がリンカーン暗殺に使われたものと同型なんてあたりもまた、歴史好きな銃器おたく大喜びなポイントだったりする（笑）<br />
<br />
　正直なところ全体として1960年代後半〜1980年代前半辺りの同種のアメリカ映画に見られる“尖った雰囲気”が足りないのが惜しいところだが、まあ観といて損は無いと思いますよ奥さん！<br />
　こっからまた、俺自身がどう展開していくのかも楽しみ。<br />
<br />
　いやそれにしても、ダニエル・デイ＝ルイスは相変わらず凄い役者だ。<br />
　Wikipediaによれば本作品の前には俳優業を引退して靴の職人になるべく修業をしていたそうだが（って、何だそれｗ）、5年のブランクをモノともしない圧倒的な存在感。<br />
　俺はディカプリオ作品はそう多く観てはいないがその中でも彼の最もいい演技だと思う本作だが、そのディカプリオを遙かに凌駕する。<br />
　デイ＝ルイスの新作、もっと観たいな。<br />
<br />
　とまれますます、アメリカ史を知りたくなる作品であった。<br />
<br />
　どんなにナニしようとユナイテッド・ステイツ・オブ・アメーリカは“だんでぃ”な国ではないんでヨーロピアン・エレガンスと江戸の混血（笑）な俺の人生ではシカトし続けるつもりだったんだけど、まあやっぱ面白いなあ。<br />
<br />
　やんぬるかな。]]></content:encoded>
		<dc:subject>映画</dc:subject>
		<dc:date>2012-02-28T04:39:11+09:00</dc:date>
		<dc:creator>植木四十六（国木田独居）</dc:creator>
		<dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
		<dc:rights>植木四十六（国木田独居）</dc:rights>
	</item>
	<item rdf:about="http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/87/">
		<link>http://bunshi.blog.shinobi.jp/Entry/87/</link>
		<title>（爆）マン。 〜 とほほなウルトラ</title>
		<description>　1970年代後期。
　ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグ等々から始まった“新時代（当時比）”のSF映画ブームがあって、それに乗っかって日本でも『宇宙からのメッセージ』とか『宇宙大怪獣ガメラ』といった作品が作られた。
　それはそれで現代から振り返ると面白いっちゃあ面白いんだが、もうい...</description>
		<content:encoded><![CDATA[　1970年代後期。<br />
　ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグ等々から始まった“新時代（当時比）”のSF映画ブームがあって、それに乗っかって日本でも『宇宙からのメッセージ』とか『宇宙大怪獣ガメラ』といった作品が作られた。<br />
　それはそれで現代から振り返ると面白いっちゃあ面白いんだが、もういかにもパチもんで、いやー困ったもんだなーと、当時いっぱしの映画マニアだった俺は頭を抱えたもんだ。<br />
<br />
　で、いよいよ1970年代も終わらんとしている頃に『未来少年コナン（1978）』とか『機動戦士ガンダム（1979）』といった現代にも続く「世界に通用する日本的SF／アニメの言葉」を得た作品があったわけだが、実はこれらの作品はことマスにおいては1980年代に入ってから高い評価を得るに到ったわけだ。<br />
<br />
　細かいことを言いだすとキリが無いのだけれども、NHKドラマの「少年SFシリーズ」とか、萩尾望都とか諸星大二郎とか星野之宣とか大友克洋とか、いわゆる“本格SF”の土壌は1970年代前半——あるいはもっと前——から小説作品のみならず色んな場所で表出されていたにも関わらず、なかなかそれが省みられなかった。<br />
　当時の価値観から言えば、大映画会社で実写映画化されない……かな。<br />
<br />
　1970年代半ばにはかの『宇宙戦艦ヤマト』の大ブームもあって編集編が劇場公開され翌年にはオリジナル劇場アニメも作られたのだけど、こと実写のSF作品と言えば先述の作品たちのような、なんかもう“とほほ”なものたちばかりだった。アニメがどんどんクオリティを上げているにも関わらず。<br />
　もちろん当時のハリウッドに匹敵する予算を“実写SF”において捻出できなかったというのもあるだろう。がしかしやはりそこは“受け手”はしっかり観ているもので、「ハリウッドのパチもんSF特撮よりも日本製SFとかアニメ」に指向するのはむべなるかな。<br />
<br />
「グローバルに通用するSFかどうかはとりあえずわかんないけど、俺らこれが好きだしぃ」が、あったかな。<br />
　このことが、現代にまで連綿とこの国のサブカルチャに良い意味でも悪い意味でも影響していると思う。<br />
<br />
　さて——<br />
<br />
　CS「チャンネルNECO」で今宵放送された『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』なる作品をたまさか観た。<br />
<br />
　駄目過ぎる。<br />
<br />
　もうね、駄目な点はいくらでも出せるがやっぱ最も駄目なのは、<br />
「ハリウッドとかウケてるモノの安っぽいパチもんでしかない」<br />
　ってことだ。<br />
「スター・ウォーズ」「スパイダーマン（2000年代シリーズ）」「ロード・オブ・ザ・リング」の各シリーズ。あるいは『ONE PIECE』のパチもんである「ジャック・スパロー」シリーズとか。<br />
<br />
　いやまあそんな目くじら立てず潮吹かずかもしんないんすけど、「ウルトラ」は違うんだよ!!<br />
<br />
　なんで「アブラハムの宗教（ユダヤ教、キリスト教、イスラム教）」が到達しえなかった「光の巨人」とか「でかいもんが暴れまくる」いう概念をずっと通奏的に抱えていて大事にしていた俺ら地震と火山と津波の民の心もちが、安っぽい善／悪あるいは光／闇に堕さなきゃいかんのかと。<br />
「フォース」は大好きなんだが、曲解は嫌いだ。<br />
<br />
　昨今のウルトラシリーズに限らず21世紀の仮面ライダーシリーズとか、いちいち落とし所が、<br />
「宇宙の大いなる力」<br />
　とかいうのが気にくわない。そもそもウルトラマンとか仮面ライダーとかのきっかけとは別なんだよな。矢追純一かよ（笑）<br />
<br />
「人、生きる。」をばかにするな。<br />
<br />
『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』の前にこれもまたたまさか放送されてたアニメ『ガンバとカワウソの冒険』を観たのだけど、アニメとしては駄目ながら燃えたよ。<br />
（そもそも小説『冒険者たち ガンパと15匹の仲間』は読めと）<br />
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　うん、まあいいや。<br />
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　俺、一昨昨日から腸閉塞で死んでるんで、“会話を期待するリプライ（笑）”は止めてな。しんどいんで。]]></content:encoded>
		<dc:subject>芸術</dc:subject>
		<dc:date>2012-02-26T00:40:19+09:00</dc:date>
		<dc:creator>植木四十六（国木田独居）</dc:creator>
		<dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
		<dc:rights>植木四十六（国木田独居）</dc:rights>
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		<title>行け行けヒューマン 〜 #nhk_special 『ヒューマン なぜ人間になれたのか』</title>
		<description>　4回シリーズで放送中の、表題のNHKスペシャルがとても面白い。

　文字通り我ら「ホモ・サピエンス」が他の生物（ネアンデルタール人等の生物学的近隣種も含んで）と違い、何をして“現代の我々に到っているのか”を検証する、そんな番組。

　ま、斜めに見るといかにも——ことに演出技法として『NHK...</description>
		<content:encoded><![CDATA[　4回シリーズで放送中の、表題のNHKスペシャルがとても面白い。<br />
<br />
　文字通り我ら「ホモ・サピエンス」が他の生物（ネアンデルタール人等の生物学的近隣種も含んで）と違い、何をして“現代の我々に到っているのか”を検証する、そんな番組。<br />
<br />
　ま、斜めに見るといかにも——ことに演出技法として『NHKスペシャル』的な——短絡や感動を導くような、恣意的で小賢しいモンも無くはないのだが、俺個人としてそういうのは大好きなので（笑）、まんまと感動しているわけだ。<br />
（ほら、スペシャリストじゃないけどゼネラリストだから俺ｗ）<br />
<br />
　で、この「ヒューマン」がどうして俺をして感動させるかといえば、ヒト＝ホモ・サピエンスとその20万年の歴史を多方面・多角的にとらまえて、専門分野のぐいぐいとしたアプローチを紹介し、かつ全体として俯瞰的に分析していて、かつわかりやすく表現しているから。<br />
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　こういうの、すごく好きなんだよね。<br />
<br />
　かなり蛇足で、かつ昔からの俺のファン（笑）のかたにはミミタコのハナシをちょっと——<br />
<br />
　俺はいまや色んな側面において歴史に詳しく、かつ、そのことを多角的に考え言葉に乗せられる人だと自負しているのだが—— 実質的には @buraroman の実散歩の中での俺の“喋り”に表れてると思う——そのきっかけとなったひとつの番組があった。<br />
『46億年の100大ニュース』<br />
　1991年だか1992だか。フジテレビ（CX）系列の深夜枠で古舘伊知郎をナビゲータとして放送された6時間にわたるスペシャル番組だったのだが、これがもう本当に凄かった。<br />
　当時バブルの最後期で——いまから思うと慶長とか元禄とかそして文化／文政に似てるのかもだが——無尽蔵の経済繁栄の中で生まれた番組だが、俺がまず震えたのはそのコンセプト。<br />
　いわゆる教科書上で教わる歴史ではなく、<br />
「“放送当時”のぼくら（笑）に最も影響を与えてる地球史の事件は何？」<br />
　というもの。<br />
　多細胞生物誕生とか酸素系生物とか農業の発明とか貨幣の発明とかバビロンの捕囚とか平均率とかなぜネクタイを締めるのかとかハワイがなぜいまハワイなのかとか第一京浜はなぜ生まれたのかとか……それが色んな表現で——ニュース方式だったりバラエティだったりクイズ番組だったり、トレンディドラマ（笑）だったりで紹介されていたのがまず凄かった。<br />
　ことに俺が目を見開いたのが、当時のフジテレビの女性アナウンサが、下北沢のそう広くない道路の真ん中に立って、<br />
「私はいま、歴史的場所に立っています」<br />
　というパロディニュース。<br />
　西にマクドナルド、東に韓国焼肉屋。<br />
　つまり“人類史上最大の帝国”と言われるチンギスとかフビライとかの侵略が西周りでは東欧にまで達し、「生肉を喰らうのはドイツのハンブルグではそのまま食すのはやだなー。だから火を通そう……ハンブルグ風ステーキ……ハンバーグ」で、東としては元寇とか含め「生肉タタキ食文化」が伝わったと。<br />
　蛇足ながら、ハンバーグもユッケも、原初は同じってハナシ。<br />
　俺、この番組で西廻りと東廻りの食文化の同一性を知り、ウロコがぽろぽろ堕ちたもんだ。<br />
<br />
　閑話休題。<br />
<br />
　この、『46億年100大ニュース』に類する感動を、俺はこの『ヒューマン なぜ人間になれたのか』　に感じるわけだ。<br />
<br />
　兎にも角も、“視点が多角的”。凄く、大事。<br />
<br />
　先般、『ヒューマン なぜ人間になれたのか』第1回の再放送を観る機会を得、今宵また第3回を観たのだが、本当に、上記『46億年100大ニュース』に匹敵する、人生観を変えそうかもと思ったシークエンスがあった……<br />
<br />
　……なのだけれども、知力・体力的にその“凄く大事なこと”を、いまこの状態でロジカルに言葉にする体力も知力もないな（笑）<br />
　もとよりそのことを語りたいと思って綴ったエントリなのだけれども、まあいいや。とどのつまり「人、生きる。」だもの。<br />
<br />
　この続きは、キンキンケロンパに。<br />
<br />
♪重いコンダラ 試練の道を（中略）ドンとイケ、ヒト。<br />
（細心の注意を以て）<br />
<br />
<br />
<br />
　このエントリは、ちゃんと補完したいね。]]></content:encoded>
		<dc:subject>テレビ</dc:subject>
		<dc:date>2012-02-20T03:32:18+09:00</dc:date>
		<dc:creator>植木四十六（国木田独居）</dc:creator>
		<dc:publisher>NINJA BLOG</dc:publisher>
		<dc:rights>植木四十六（国木田独居）</dc:rights>
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