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武蔵野独り暮らし、日々雑感。
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 mixiに「仲良しマイミク」なる機能が追加されたとの由。

 まあ気に入らないマイミクに対してはっきりした態度をとれず別途場所を設けて陰口などを囁いている姑息な連中も少なくないことは数年前から重々知っているので(笑)、なるほどそういうニーズにこたえたもんかもしれん。

 がしかし、こんなもんを運営側が提供してはいけない。

 いよいよ末期的症状だなmixi。

 5年間の「遺産」さえなけりゃあ、いますぐにでも辞めてやるのだが(優柔不断)

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 iPhone用のアプリケーション(App)に、ちょっとこれはすごいと思わせる『Memory Tree』というものがある。

 何がどうすごいかということをぼくなりに簡単にいうと、
「極めてSF的であり、かつヒトなどの生命《いのち》の在り方などについての、『次なるステージ』を感じさせる」
 とでもなるか。

 具体的にどういうAppなのかを言葉で簡潔に示すと、
「ネット上に『その場所』の記憶を保存してくれるもの」
 ということにでもなろうか。

 Appの具体的な動作を語ろう。

 ある場所に居るときに、『Memory Tree』を起動する。
 そしてその場所で、iPhoneを縦に振る。
 そうするとiPhoneが、「その場所」で「かつて誰かによって撮影された写真」を表示してくれる。iPhoneの持つ、GPS(位置)情報を利用した機能だ。

 逆に自分がその場所に「写真を残しておきたい」とする。
 この時は写真を撮影したあとに、iPhoneを横に振る。
 そうすると自分がその時に撮った写真がその場所に記憶され、いつか誰かが同じ場所でiPhoneを先述のように「縦振り」をした時に、いま自分が「ばらまいた」写真が、誰かの目に留まる……とまあ、こういう話だ。

 すごく淡白にデジタルな仕組みだけでいってしまえば、
「時刻や位置情報を含む写真がサーバにアップロードされ、それを閲覧者が同じくGPS情報をもとに参照することができる」
 というだけの話だ。
 たとえばmixiなどのSNSやTwitterなどに比較して、そんなに面白いと思わないかたも少なくないだろうと思う。

 が、このダイナミズムは冒頭に記したように、ちょっとこれまでのぼくらの中にある「ネット」の常識とか、もっといえばヒトなりとしての生命の在り様にまで、一種の変革をせまるものかもしれないなと、ぼくなんぞは思う。

 これまでの歴史の中でヒトは「記憶」へのこだわりを見せてきた。特に近代、ビジュアルな意味でのそれらに対するアプローチはものすごいものがあると思う。

 たとえば肖像画、たとえば写真、たとえばドキュメンタリ、たとえばホームビデオ……枚挙にいとまはない。

 もっというとたとえば化石や遺跡の発掘、そして鉱物への傾倒なども、そういう「記憶」へのアプローチなのだといえると思う。時空を超えるもの。クオ・バディス……我々は何処から来たのか、何処へ行くのか。

 さて『Memory Tree』。

 いまはまだiPhoneも含め一部のキャズム(新しもの好き)だけのものだが、これが「あたりまえになった世界」を夢想してみる。そして数十年、数百年の蓄積が、すでにあったとしたら……

 たとえば東京は桜田門近くでiPhone(でなくてもいいが)デバイスを縦振りした時に、そこに現れる画像や動画は?
 江戸時代……いやもっと昔から『Memory Tree』があったとしたら、まだ海岸であったときのそこや、井伊直弼が云々された現場だとか、あるいは二・二六事件がどうしたとか、そんなものがダイナミックに映し出されるであろう。
 いや、そんな歴史的に有名な話ばかりではなく、どうでもない場所のどうでもない人々の日々の営みを見るだけでも、何か感じ入るものはあるのではないか。それこそ、クマさんハッつぁんとか。
 そしてもっと話を大袈裟にすれば、そうした一人びとりの生活なりちょっとしたよろこびとかかなしみとかそんなものを目の当たりにすることによって、たとえば核は無くそうとか戦争はやめようとか、そんなことにまで考えが及ぶような気がする。

 もちろんそうした大義のものではないにしても、いまこの2009年8月現在にしたってすでに『Memory Tree』はあるのだから、身内の記憶とかそういうものだってその「場所」に残すことができるわけだ。これは、すごいことだと思う。

(ぼくはmixiから本ブログに移行する前から日記のタイトルは古今の様々な作品タイトルをもじることに決めているのだけど)今回のこのエントリのタイトルを考えるときに、まず「軌跡の人」というのが思い浮かんだ。
 でも『Memory Tree』というサービスを考えてみると、ただ「軌跡」だけではなく、原題どおりに「奇跡」であり、また「鬼籍」に入った人さえたどることができるのだなと思った。だから、タイトルはカタカナでひらいた。

「過去を画像・映像でたどる」ことが必ずしも正しいことかどうかはわからない。ヒトの美徳のひとつが忘却であるとも思うからだ。

 しかしすでにこういう技術・サービスが存在する以上、そして前々からリリースが期待される『セカイカメラ』などを控えている以上、ぼくらにちょっとした考えかたの変革が求められているのはたしかだろうなと思う。

 あらゆるものに位置情報なり記憶なりが残される時代は、ある意味で怖い。
 でも、怖いと思ったらやらなければいい。
『Memory Tree』でいえばそこで写真を撮ってiPhoneを横振りしなけりゃ記憶は残らないし、「ここはちょっとヤバいな」と思ったら、その場所で縦振りをしなければいい。それだけの話だ。
 Twitterもそうだけれども、いろんなものに押しつけがない。そこが気持ちいい。そんな風に、ぼくらはすでにネットとかバーチャルとかとの付き合いかたを学びはじめていると思う。それで、いいのだ。

 まあともかく『Memory Tree』は、一度体験しておくといいと思う。
 App Storeで、無料ざんすよ。シェーッ!!

 

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 1991年末にCX(フジテレビ)系列で放映された深夜特別番組『46億年の100大ニュース』をひさびさに観た。とある事情で部屋を整理していたら録画VHSが出てきたので(この録画ビデオにもいろいろといわくがあるのだが、それはまた機があれば記そう)、二日間に分けて観たのである。

 いやあ、やはり面白い!……と同時に前回鑑賞から5年以上を経て今日〈こんにち〉あらためて観て、ちょっとした衝撃を受けた。

 ともかく2007年5月半ば現在のぼくの物の見方や考え方などは、明らかにこの番組を立脚点としている。もちろんそれ以前に「この番組にかくも影響を受けるぼく」という“土壌”は出来ていて“それがあってこそ”と考えるべきなのだろうが、それにしてもかなり恥ずかしいまでに影響を受けている。ほとんど「取り憑かれている」といっても過言ではなく、逆に言うと放映から16年を経てもなお、ぼくは「まだここから出られていない」ということかもしれない。

 いずれにせよ放映からこちら、28歳以降のぼくが最も影響を受けた《作品》であると、あらためて思った。そうしてこういうものを自分でも創りたいなあと、性懲りもなく、やっぱり思うのである。

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