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武蔵野独り暮らし、日々雑感。
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外勤め(遅番)を終え、西国分寺の『餃子屋とんぼ』で独り酒。

で、幸いにも店内のテレビで『ブラタモリ』をやっていたので、マスターにお願いして字幕をオンにしてもらって観ているのだが……

今回、大名編じゃないすかこれ!?

もとより水辺の風景が好きでこだわりがあるというのもあるのだが、江戸開闢期から明治そして昭和30年代の高度成長期などの近代史そして現代の小名木川、江東区の治水等々について言及していてどうにも泣ける。

こういった話題については綴りたいことが山ほどにある。

目の前のハイボールが空になるころには放送も終わるだろうから、そうしたら帰還の上、本エントリを追記したいと思う。

乞、ご期待!!


で、写真は今宵の『餃子屋とんぼ』の黒板メニュー、棒餃子ヾ(@⌒ー⌒@)ノ






【というわけで追記なう】

 ……つか、とんぼでは聞こえなかったが、『Let's Ondo Again』がかかっていたのか。布谷文夫追悼としか思えんな。

 さて今回の『ブラタモリ』で紹介された「小名木川」は前々から興味を持っていた。
 そのきっかけとなったのは、白土三平の『カムイ伝 第二部』。

 同作は江戸徳川四代将軍たる家綱の時代が舞台なのだが、カムイを始めとする主要登場人物たちが一時的に揃って外房に逃避行するエピソードがある。
 で、その際にまずエントリするのが小名木川で、最終的に利根川から九十九里浜に抜けることになる。忍びのカムイは途中一行から離脱して霞ヶ浦で一戦かまえることになるのだけれど、いずれにせよ江戸から北東部の河川・水路が「まず小名木川」ということを漠然と理解はしていたのだけれど、今回のブラタモリは本当にその辺りの事情がよくわかるものだった。江戸と周辺の水路物流の、まさに中心であり関所が、小名木川だったんだなあと。

 ご存知のかたにはミミタコだが、現代に到る「にぎり寿司」が江戸中期に誕生した背景には、生醤油の発明というものもある。
 俺はだから江戸初期とかにもタイムトラベルしたいなと思いながらも生醤油が無い時代はちょっとやだなあなどと思っているのだがそれはともかくとして、生醤油が江戸に入ったのは、紀伊和歌山で作られたものが黒潮に乗って千葉の銚子(ヤマサの本拠地)に伝わり、それが利根川を遡って同じ千葉の野田(キッコーマンの本拠地)で発展し、さらにそこから江戸川や中川などを通り、そして小名木川という関所を経て江戸に伝わったと。
 そんなことにまで思いを馳せると、実に感慨深いものがあるわけだ。

 江戸において小名木川を始めとする河川の掘削や日比谷などの海岸線の埋め立ては徳川家康による環境破壊という捉えかたもできなくはないのだけど、ことほど左様に長いスパンで考えると家康のお陰で現代の我々が享受しているものたちはたくさんある。
「やさしい環境破壊」とでもいうべきか。凄い人だねやっぱり。

 で、その環境破壊という視点では、今回の放送で昭和の「地盤沈下」や「水質汚濁」について触れていたのも、たいへんに評価できるところだ。

 近現代史、なかんずく高度成長期のイケイケドンドンの中で、家康や江戸時代全体を通じて大事にされた「水とその風景」が蔑ろにされたのはいうまでもないことで、本当に昭和30年代〜40年代ころというのはひどいものだった。
 かの——龍や麒麟といった霊獣に護られたはずの——日本橋の上に高速道路を造るなんてのはその象徴みたいなものだが、タモリさんも番組中つぶやいた「水辺の風景」を徹底的に破壊したのが上記時代だ。

 過度な地下水の汲み上げによる地盤沈下については俺も4歳〜14歳まで過ごした春日部市の巨大団地で目の当たりにしていて、本当に場所によっては、5mほど“土地が下がった”ものだ。それはそれは、凄絶な光景だった。
 また、小名木川のある江東区や隣りの江戸川区なんてのは当時「海抜0メートル地帯」と呼ばれており、番組中でも紹介されたように、いつでも家屋がフツーに水没するようなものだった。
 さらにいえば工場廃水や、都市部の表層的大発展と裏腹に下水道が未整備であったことによる水質汚濁もひどいもので、江東区、江戸川区、葛飾区、足立区、荒川区、北区なんて辺りの水路はいつも濁っており、雨のひとつも降ろうものなら異臭を放っていた。
 このあたりのことは東宝の「クレージーキャッツシリーズ」の後期作品たちにも如実に描かれているし、また、世の中が大阪万博(EXPO'70)で浮かれたその翌年に公開された東宝映画『ゴジラ対ヘドラ』や、同じ年に放送が始まったところの当初は公害怪獣がメインだったテレビ特撮番組『宇宙猿人ゴリ(のちに『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』そして『スペクトルマン』と改題)なんかにも端的に描かれている。

 現代において昭和30年代を描いた作品といえば俺も大好きな映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズなんかがあるわけだけれども、かのシリーズで描かれていない——江戸との関連ではないが——「昭和元禄」と浮かれていた当時の、“裏面史”もまたあるとして認識していたほうがいい。
(蛇足ながら「ALWAYS〜」は、あれはあれでいい。根源的に美しいものを美しく描く作品もまた必要なのだ)

 そしてやはりうれしいのは、そうした色んな歴史がありながらも“現在の江東区”が治水対策等々についてちゃんとしており、小名木川の遊歩道などかつての江戸の風景に通じる「親水性」を取り戻しつつあると、ちゃあんと語っているところだ。
 現代においても“これが正解”というのは無いと思うけれども、現在の江東区が東京にしては珍しく人口増加の拠点となっていることはいいことだ。

 人生や歴史というのは失敗するものだが、トライ&エラーを経て正しくあれかしと努力すればそれでいい。
(※原発だけは、エラーは無しね)

 同じようなことは「小名木川を現在も利用している製粉工場」についても感じ入るわけで、トラック輸送の50倍を“水路”を使えば賄えるなんてのは、素敵なハナシだと思う。
 繰り返しになるがかつての「水の都」をないがせにしてきたのが近現代史だとすれば、ここでまたあらためて「水の都・EDO/TOKYO」を取り戻すことを未来に向けて指向すればいいと思う。色々と難しい現在、「潤い」を考えるのもまた必要ではなかろうか?
 火よりも、水を。

「水は好き」——パドメ・アミダラ@『スター・ウォーズ episode II クローンの攻撃』

 江東区が率先して、かつての江戸・東京の「水の都」の姿を明示しつつあるのであれば、それはとてもうれしいことだ。過去・現在・未来という文字通り“流れ”を描いていて、本当に今回の『ブラタモリ』は麗しく感じた次第だ。

 来週もまた、楽しみだね。

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 世間様が週末休みを満喫している中、俺はきょうもあしたも外勤め(泪)
 まあこれが男の生きる道(詞:青島、曲:萩原、歌:植木)なんで見ろよ青い空白い雲(同左)ってことでそれはともかく(?)、きょうは日勤あしたは夜勤ということもあり、解放後に酔狂にもこの寒空をちょっと散歩してみた。

 かつての“基地の街”、立川。

 そんな気になったのは、ちょっとした理由《ワケ》が。
 最近ちょくちょく通うようになった進駐軍時代から一代で続いているバー『潮』にて、マスター“ジミーさん”より戦後の立川の発展史をうかがい、がぜん興味を持ったから。
 詳細はまた別途記したいが、たとえば現在は同じ「立川市」であっても古くからの地主の住む地域と米軍基地によって発展した地域との違いとか、あたかも江戸の発展史にも似たダイナミズムに鼻を膨らましたというハナシ。
(折よく戸井十月『植木等伝 「わかっちゃいるけどやめられない!』を読了、あらためて“基地のバンドマン”に興味を持った矢先というのもあった)

 と、いうわけで今回は主に基地と共にあった地域、「立川市高松町」をブラブラ。

 まずは職場ビルを出て「シネマ通り」ーーいまは存在しないがかつては三軒の映画館があったのが名の由来ーー方面へ。

 多くの地方都市同様に閑散とした感じは否めないが、長く愛されているのであろう昭和の香る呑み屋とか、逆に最近できたと思われる真面目そうな個人経営の店舗も散見され、バランスとしては悪くない。
 少し前のエントリで阿佐ヶ谷なんかの新旧のバランスの良さを褒めそやしたものだが、そういうものがここに来て立川にも齎《モタラ》されはじめた気がする。このまま頑張ってもらいたいものだ。


昭和の香りと立川クオリティ炸裂の野球酒場。
今宵も武蔵野・多摩地域の草野球チームと思しき予約が入っていた。


この蕎麦屋はとても気になる。
武蔵野の蕎麦屋は旨かろう高かろうが多いのだが、
せいろがゴヒャクマンエンというのはたいへんによろしい。
今度ぜひ寄ってみたい。


このスナックなどは基地の時代を知っているような気がする。


 続いて多摩湖方面へと続く「立川通り」に出る。

 よくある地方の幹線道路の風情だが、この高松町辺りの沿線にはまだ所々にモータースケールばかりではなく、街がかつてヒューマンスケールだったことを思わせる店々が残っていて好ましい。


この古書店はいい。
今度じっくり立ち寄ろう。



いまどきガス、電気、水道のすべてを扱う町の個人業者というのも珍しいのではないか。
店舗そのものが1970年代風味の内装というのがまた泣ける。



老舗表具店も健在。いわゆる下町の表具店よりも規模が大きい。


もう少し北の砂川地域のみならず高松町にもけっこうなお屋敷があり、
ホームセンターとは違う需要があるのだろうと推察する。



 踵を返し高松町の立川女子高等学校周辺、かつて基地で働く人々が住まっていたと伝え聞く路地だらけの区域へ。
 すでにとっぷりと日の暮れた中で細かくは確認しづらく、またかなり開発の手が入っていたものの、所々に残滓が確認できた。


ビルの谷間の平屋。いまは住む人もありやなしや。


同じく有料駐車場に囲まれた古い家屋。
表には「PLANNNER」の看板があったところをみると、
かの『東京R不動産』的な活用がされているのかもしれない。
こういうのがとても好きだ。



ビルと小さな個人宅ばかりの中に、唐突に現れる洋館。地元の名士の邸宅の模様。
向かって右にはシャレオツな居酒屋が並ぶところをみるとこの一角は邸宅の主の持ちもので、
こだわりをもって残しているのかもしれない。



 実際に歩いた順序とは紹介が逆になったが、高松町の住宅街を北に抜けると、唐突にいまも残る『新立川航空機』や陸上自衛隊駐屯地そして昭和記念公園といった広大な敷地がばーんと眼前に広がる。
 この辺りが立川ならではの醍醐味で、何かこう変なハナシだが先のジミーさんから聞いたことやクレージーキャッツなどの物語とシンクロして、俺個人は見知らぬ当時の空気とか雰囲気のようなものがどどどどどと自分の中に流れ込んで来るような気分になった。いわゆるDEEP横濱などにも似てまたちょっと違う、一種のファンタジーだと思う。


細い通り一本を隔てて、
或る意味で普通の閑静な住宅街から
《イニシエ》の基地の街に瞬時に変貌するダイナミズム。
ちょっと無い感慨だ。



立川航空機正門前からビジネスビルが林立する立川駅前方面を望む。
右手には荒涼と広がる陸上自衛隊駐屯地。
何とも不思議な感慨に襲われる。




 ……というわけでこのあとは駅北口に戻ってその途上も面白かったのだが、それはまた別途。

 で、最近俺の中で再評価著しい居酒屋『弁慶』に辿り着き、い~いこんころもちの中でiPhoneからこのエントリを綴っているのであった(笑)

 煮込み豆腐とかあなご天ぷらとかニラ玉とかうまーヽ(;▽;)ノ








後ほどMacにて編集予定。
【追記】編集しました。

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 前エントリの続き——

 TwitterのTL(タイムライン)が『となりのトトロ』で盛り上がっている中、つい先ほどまでテレビ大阪制作の名番組『和風総本家』の前々回分の録画を観ていた。

 テーマは、「東京水辺物語」

 そう。まさに今回の「ユラ浪漫」にぴったりのテーマで、その前々日に放送されたものなのでしっかり予習しておけばよかったなとも思ったのだが、しかしまた逆に復習という視点からも、これがまた実に面白かった。

 何よりまず膝を叩いてよろこんでしまったのが、冒頭からいきなり隅田川の河口からの遡上がはじまったこと。
 これぞまさに今回のユラ浪漫のメインイベントだったわけで、数日前に我と我が目で見たその風景がフネさんのやわらかいナレーションとともに映し出されるさまは、少しく感動的なものだった。

 さて、昼餉のためにいったん築地場内で解散したぼくらは、午後の最も気温が上昇する時間に、浜離宮恩賜庭園内にある水上バスの乗船場にて再度の待ち合わせをした。
  
 時間的にすでに閑散としはじめた築地場内。その正門を出て浜離宮庭園へと向かう。
 頭上には梅雨明けを告げる蒼穹が広がり、陽射しが容赦なく照りつける。


築地市場は朝が早いぶん、午後の早い時間には人影もまばらになる

 Twitter上で刻々とつぶやかれる仲間たちの「浜離宮なう」を確認しながら、汗をぬぐいつつ新大橋通りを歩くこと10分弱。豊かな緑に包まれ、水に囲まれた浜離宮庭園へ近づくと、それだけで涼しさを覚える。


浜離宮恩賜庭園の正門付近。林立するビル群の中の清涼な風景

 入場料300円也を支払って浜離宮内へ。
 東京都心部というのは実は以外と緑が多いものだが、ここもまたご他聞に漏れない。そして木陰の涼しさは特筆すべきで、生き返るというのはこのことだと、このときは園内に点在していた仲間たちの誰もが思ったことだろうと思う。


園内で栽培されている野菜だか花だかの畑。スプリンクラが涼しげだった

 そして園内を通過すること約5分で水上バスの乗船場へと到着。すでに仲間たちはみな集まっており、各々勝手に涼んでいる(笑)
 ここで合流という仲間たちも続々と到着し、あとは次に出航する水上バスの到着を待つばかり。


浜離宮庭園内の水上バス乗船場。向こうに見えているのはさっきまでいた築地市場

 と、ここでにわかにUFO騒動が勃発!!
 遙か上空を数機の小さく白銀の未確認飛行物体が飛んでいくのを数名が確認。残念ながら写真がうまく撮れなかったのだが、この時刻に同じようにUFOを目撃、写真撮影に成功したかたがいらしたら、ぜひ連絡いただきたい。
(ここは矢島正明先生の声でお願いします)

 が、UFOよりもみんなが大騒ぎしたのが、にゃんといってもこにょひと(はあと)


ブラ浪漫のみんなって、本っ当に猫が好きだよな←人のこたぁいえにゃい(笑)

 といった感じでワイワイやっているところに、遠く汽笛が聞こえ、いそいそと仲間たちと列に並ぶ。
 汽笛が聞こえてからしばらくたってもなかなか姿を見せない水上バスに、
「音はすれども姿は見えず——」
「まるでアナタは——」
「屁のようだ!!」
 などと最後をユニゾンしながら馬鹿笑いをしているところに、ようやっと到着。



 さていよいよ大川(隅田川)下り&上りがはじまるわけだが、残念ながら今宵はこれにて時間切れ。

 次回をおたのしみにね♪

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 前エントリの続き——


 というわけで関東が梅雨明けしたとのちに宣言された過ぐる7月17日。
 ブラ浪漫の夏休みスペシャルたる「ユラ浪漫」が開催された。

 まずは世界最大の魚市場たる「築地」に集合。
 この“場内”にて、おのおの昼餉を楽しもうという趣向。

 いうまでもなくひとクチに築地市場といっても、大きく「場内」と「場外」に分けられる。
 前者は実際に水揚げやセリそして仲買いが行われる場所で、いわばプロの場所。そして後者はそこに付随した、一般人も手軽に築地価格と品質で商品を入手できる“商店街”と考えてよい。もちろん、厳密に規定できるものではないが、まあそんな感じだ。

築地場外
築地の顔のひとつ。「場外」への入り口。

 で、上記のように「場外」は比較的ふいっと寄っても十分楽しめる場所なのだが、「場内」となるとさすがにある程度の案内者が必要となる。
 むろん昨今は外国人観光客も含めた築地場内ツアーなどもかまびすしく行われているわけだが、まあここはいかにも我らがブラ浪漫っぽくいきたいなと思ったわけだ。皆さんが興味を持ってくだされば各々また機会はいくらでもあるだろうし、まずはちょっと中に入り、場内ならではの昼餉を楽しんでいただければと。
 というわけで四半世紀前にこの場内で蒟蒻や湯葉などの配達のアルバイトをしていたというぼくの杵柄をいかし、皆さんを案内することにした次第。ま、我田引水ってやつですな。

 実は場内のコアな部分はやはりそれなりの覚悟を以て見学するなりなんなりが必要なのだが、その外郭にある飲食店街は、比較的容易に楽しむことが出来る。市場北の「海幸橋《かいこうばし》門」という市場の裏手——場外との繋ぎ目でもあるのだが——からエントリして遠慮がち(笑)に歩けば、それこそグルメ本などにも紹介されるような各店舗に至ることが出来る。
 ぼくは、このことをみんなに伝えたかった。

 立ち並ぶ飲食店の中にはかの吉野家——ぼくは例のBSE問題への対応の酷さ以降、頑として行ってないのだが——の最初の店舗などもある。

yoshinoya
『吉野家』最初の店舗。明治38年創業。

 さて、そんなわけでひとあたり場内の飲食店街のロケーションを説明し、
「ではあとは皆さん適宜昼餉を召し上がって、あとは浜離宮に集合しましょう」
 ということになったわけだ(笑)

 いわゆるオフ会としてはあるまじきハナシかもしれんが、皆さんそれぞれに懐事情もあるだろう。せっかく築地場内を訪ったのだから五千円超の握りをいただきたいかたもいるだろうし、五百円程度でさらりと済ませたいかたもいるだろう。
 そして、何よりもそうした「幅」をおおらかに包んでくれる懐の深さがこの築地にあることを、ぼくは知っている。

 というわけでいったん解散。ぼくと数名は、『天房』さんの天丼などをいただくことになった。

tenfusa
「場内」の各名店たちの中でも、比較的すんなり入れる天丼/天ぷらの『天房』さん。
築地=寿司に惑わされてると損しますよ(笑)


 こっ、れっ、がっ、またっ、美味かったのなんの!!

『天房』さんには以前も入ったことがあるのだが、数日前から頭ン中が穴子丼一色になっていたぼくにとって、もう、無情のよろこびってやつ(笑)
 以下に、同席の皆さんの注文含め、大公開しちゃいましょうかねえ♪

天丼
天丼(1,200円)

上天丼
上天丼(1,400円)

穴子丼
アナゴと芝エビの天丼+メゴチ(1,800円)←俺が注文したヤツ

 いかにも江戸前の甘いタレに山椒がまたたまらくてですねえ……

 というわけでとりあえず我らが「ユラ浪漫」の皮切りに大満足した次第。個人的にはTwitterでおなじみの、
「ぶへーっ、食った食った!」
 ってヤツ(笑)
(ちなみにいうとこのつぶやきは、質・量ともに大満足のときのみのもの)

 ……それぞれの皆さんがどういった昼餉を楽しんだか取材不足でここで細かくは語れないが、まあおおむね満足されたとの由。
 うれしい話だ。

 さてそうしてこのあと大川=隅田川を遡上する水上バスに乗るべく約束の地「浜離宮恩賜公園」に向かったわけだが、そのことはまた別途。


 刮目して待て!(笑)

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 今年2010年の初頭から、「ブラ浪漫」というイベントを定期的に開催している。
 まあ何となく、ぼくが中心となって。

 件のTwitterにハマって半年あまり。
 当時ぼくが“フォローしている”かたの多くがNHKの番組『ブラタモリ』に熱烈な興味を示していた。
 で、いわゆるコメント(ReplyやReTweetなど)の応酬も熱を帯びてきたために、
「じゃあ、みんなで『まち歩き』でもしましょうよ。専用のTwitterアカウントも作りますから」
 なんていう——毎度おなじみの(笑)——思いつきがきっかけだったように思う。

 それが、bura_roman

 ありがたいことに多くのかたがこのアカウントをフォローしてくださり、気がつけば今年の1月に「第1回 本郷編」を開催していた。
 べつだん本郷でなくてもよかったのだが、まずは“言い出しっぺ”としてのぼくの馴染みの界隈を、参加者の皆さんに我と我が言葉にて紹介したほうが、ネットで集まった——概ね、互いに面識の無い——皆さんの心を開けるだろうと思ったからだ。

 この試みは概ね成功し、お茶の水ニコライ堂の前辺りから始まり本郷三丁目で終わったブラ(散歩)のあとに入った本郷菊坂の居酒屋で“一次会”が6時間にも及んだことを、ぼくは生涯忘れないだろう。「まち歩き」という限定的興味・知的好奇心にて集まったかたがたにせよ、他の部分でも重なるベクトルがあるらしく、話題は多岐に拡がり、麗しい時間となった模様だ。
(ついでながらこのことは、これから語りたい「第4回」でも連綿と受け継がれている様子。毎度皆さんに迷惑かけまくりの某言い出しっぺ=アルチューノ・ランボウというバカはともかくw)

 さて、とりあえず好評を博した「ブラ浪漫」は、“プチ”と称する小さなイベントを挟みつつ、これまで5回開催された。

「正編」とぼくらが呼ぶものは「地形とその情景を辿る」もの。
 第1回「お茶の水・湯島・本郷」(1月)、第2回「小石川・千石辺り」(3月)、第3回「茗荷谷・水道・小日向・神楽坂」(5月)。
(都度、ホスト/ホステスになってくださった皆さんに感謝)

 そしていわゆる“プチ”。
「建設中の東京スカイツリーを見る『押上・業平橋』」(2月)、「未だ残る商店街と江戸の花見場所を体感する『駒込〜飛鳥山公園』」(4月)

 ときどきに、素敵な想い出が満載だ。

 ありがたいなと思うのは、参加者が固着していないこと。
 そりゃ皆さん個々の生活なり何なりのスケジュールというのがあるわけだから——ほとんどぼく都合で組まれる——“その日”に参加できるとは限らない。臍を噛んでいるかたが少なくないことは理解しているし申し訳ないとも思っているが、そこはご容赦いただきたい。
 肝心なのはそれでもかつ、
「参加してよかった」
 という声が毎度聞かれることだ。こんなうれしいことはない。

“中心者”が真っ先にぐだぐだ酔っ払い様々なご迷惑を皆さんにおかけしていることは理解しているが(^_^;;、まあ最終的にぼくを排除してでも、継続的にあってほしい「オフ会」だなと、ぼくは考えている。
(無責任ですが、皆さんの繋がりのほうが麗しい)


 さ、閑話休題《それはともかく》……って、長いですねすみません。

 過ぐる7月17日。
 その「ブラ浪漫」の第4回が開催された。

 ブラ浪漫(正編)はなんとなく二ヶ月という期間を置いた「奇数月」に開催されるべきだろうと考えていたぼくだけど、さすがに7月の梅雨明けするかしないかの時節にみんなで数時間もまち歩きをするのはいかがなものかと思い、さてどうしたものかと考えていた。
(このことは5月段階で参加者の皆さんに語った)

 が、いろいろ考えると、(これはぼくの勝手な解釈だが)我らがブラ浪漫の面々ってのはやっぱり「水の風景」ってのが好きなんだろうなと。
 江戸から高度成長期前の東京が持っていた水の風景、水の都《みやこ》——このことはぼく自身が最近こだわっている横浜下町に我田引水してるのだけど——そんなことを考えた。

 で、世界に冠たる水産物の水揚げ場「築地」で昼餉をたのしみ、江戸からの親水場である「浜離宮恩賜公園」で集合し、みんなで大川=隅田川を遡上し、大川の賜=浅草で呑んだくれる——ってのはいいかなと思ったワケだ。夏だし。

 称して、「ユラ浪漫」

 正直フタを開けるまではどうなるかと思ったけれども、たとえば築地、たとえば浜離宮、たとえば浅草といった集合場所が分散している「ぬるさ」感——それはつまり、Twitterに通じるか——が功を奏したのかもしれない。い〜い感じで皆さん集まってくださり、たのしい時間を過ごしてくださった様子(もちろん、一部バカのへべれけ云々……つまり俺は除く)


 そんなこんなで梅雨明けだったらしい7月17日の想い出については、長くなりそうなのでまた別途エントリ。
(根性無しですんまそん)

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