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武蔵野独り暮らし、日々雑感。
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 ところでひさびさに新宿末廣亭に行ってしあわせな時間を過ごしたその日、〝10月5日〟といえば忘れられない日付だ。

 いうまでもなく俺が心からの愛を込めて「ジョブたん」と呼称するところのSteven Paul Jobs——スティーブ・ジョブズの命日。

 日本的な言い方をすれば三回忌。天界が彼の類稀な発想力と実行力を欲して連れ去ってしまってから、もう丸2年にもなる。嗚呼ジョブたん、かなしいよ本当に。
 ただ今年の、先にも綴ったような勝手にシンドカッタを超えて今日という日を迎えられることができ、そして腹の底から笑うことが出来たその日がジョブたんの命日であったということには何かの因縁を感じないでもないし、また感謝するところでもある。

 さて、その早世(と言っていいだろう)から以降、iPhoneやiPadの一般への認知と普及もあってにわかに注目されたジョブたんだが、どうもその知られかた、喧伝のされかたが、俺の愛するジョブたんとは異なるように思えてならない。
 曰くカリスマであり、独裁的であるといった言説だ。

 それはもちろん間違ってはいない。いないがしかし、これもまたにわかに注目されたスタンフォード大学のスピーチ「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」ばかりではないジョブたんを、俺はもっともっと広く知ってもらいたいのだ。いわゆる〝怖い人〟ではないジョブたん。

 ジョブたんの生涯とその人となりについては俺が幾万の言葉を連ねるよりも伝記や伝記マンガなどをお読みいただければと思うわけだが、本稿では以下の二つの、俺がとても大好きなジョブたんの考え方と言葉を紹介したい。意訳および概略になるが。

 まず、自ら創業したApple社を追われる少し前、Macintosh誕生前夜にあたる1983年にとあるインタビューで「コンピュータとは何か」という質問に対してのジョブたんの回答。

 科学雑誌で動物の移動効率についての研究論文を読んだのだが、トップはコンドルで人間は下位に属する。しかし自転車に乗った人間は、コンドルの倍の移動効率を見せた。コンピュータは「知の自転車」であるべきだと思う。

 偉そうに綴ってはいるものの俺もこの発言を知ったのはジョブたん逝去からあとだったのだが、これは震えた。
 何といっても喩えが「自転車」なのがいい。自動車でも汽車・電車でも飛行機でも、ましてやロケットでもないところ。つまるところ人力で、しかし幾何学的な工夫だけで動物としての運動能力や効率性がぐんとアップする自転車——自身が肉体を使っているということと、そしてまた風や剥き出しの風景を感じることができる自転車を例としてコンピュータを語れる人は、当時ほとんどいなかった筈だ。
 これは余談だが秋にジョブたんが亡くなったその年、西暦2012年の春まだ浅き頃、我が国はというか世界は、史上最大規模の「エネルギー災害」に遭遇した。
 いうまでもなく、フクシマである。
 もちろんMacもiPhoneもiPadもiTunes StoreもApp StoreもiCloudも、ジョブたんが作り上げたものは電力を消費する。がしかし上記のジョブたん発言から30年を経てコンピュータはより消費電力を抑えしかし高性能で使いやすいものとなった。発言当時主流だった大型汎用コンピュータやせいぜいが5インチのフロッピーディスクが先進的だったパーソナル・コンピュータと、iPhoneを較べてみるとよい。そしてジョブたん存命中から計画がありもうじき完成するはずの新しいAppleの本社は、太陽光発電を基本としている。こと電力ということ一つをとっても、ジョブたんは数々の自己矛盾と焦燥感の中で、しかし有り得べき姿を模索し続けたのだろうと思う。よくネットで冗談めかして語られたように、ジョブたんがまだまだ活躍していれば、俺は「iHatsuden」さえ生み出していたのではないかと夢想する。

 そしてもう一つ。
 これこそが俺の「ジョブたん好き好きの最高潮」となったのが、iPad発表会のラストを飾った言葉だ。

 AppleのDNAは、テクノロジとリベラル・アーツの交点にある。

 ここでテクノロジ(技術)と対で引用された「リベラル・アーツ」に驚いた俺はあらためてWikipediaなどを紐解いてみたのだが、そもそもが古代ギリシアに起源を持つ近代的な学問であるという。
「自由七科」とも呼称され、また日本語の「藝術」の語源ともされるそれはつまり「人を自由にする学問」であり、それを学ぶことで非奴隷たる自由人としての教養が身につくものであるという。穿って言えば、奴隷解放のための学問だ。
 泣いたね、俺は。
 のちに振り返ればすでに晩年、当時はまだ公にはされていなかったが全身を病魔に蝕まれ痩せ細ったジョブたんから語られたこの「技術と藝術の交点」は、俺のこれまでの生涯の中でもトップクラスで好きな言葉だ。

 ヒトは元来、自由でなければならない。
 その自由のために、常に技術と藝術との交歓を胸に置いて56年という短い生涯を駆け抜けたジョブたん。ジョブたんはけっして世界征服を企む技術だけの悪魔であるところのショッカーではなく、人間の自由のためにショッカーと闘った〝風の戦士〟仮面ライダーだったのだろうと思う。

 1997年のジョブたん復帰後、そして彼亡きあともまたそうなのだが、Apple Inc.のコマーシャルやプロモーションビデオは、主に「人の笑顔」を描いている。ただの、技術のための技術の会社ではないのだ。
 Apple製品という「知の自転車」を得ることで、自分の本当にやりたいことの前に自由になり、笑顔になる人々。そんなものを見たいという思いが、Appleの製品とサービスにはある。
(ウィルスチェックやセキュリティ・アップデートに翻弄されることが仕事ではなくねw) 

 いみじくもその翌日から再放送が始まったNHK連続テレビ小説『ちりとてちん』における落語の重要な一節、
「その道中の、陽気なこと!」
 ではないが、苦しくも真面目に、しかし楽しく生きていきたいものだと、あらためて俺自身の寄席の復活ともなった10月5日という日に考えた次第だ。

「あした世界が滅ぶとも、きょう林檎の樹を植える」——伝マルチン・ルター

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