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武蔵野独り暮らし、日々雑感。
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 三十路の後半に「うつ」を患った。

 当時、Macを主としたフリーランスのテクニカルライターおよびイラストレーターを生業としており、雑誌等々の記事だけではなく十数冊の書籍を上梓するなどしていたのだが、仕事が上手くまわらないなどが引鉄となった。だがまあそのことは自己責任なので、ここで細かくは語らない。

 で、そのうつが底を見て上昇に転じ始めたころ、取引先のひとつの出版社から、とあるテーマの書籍を執筆しないかとのオファーがあった。
 そのテーマというのが当時の俺も興味を持ちはじめていたもの。なので乗り気満々でミーティングに臨んだのだが、その最後に執筆期間が一ヶ月弱というので大いにたまげたものだ。
 が、ここで勝負しないと駄目だろうと思いオファーを受け、とどのつまり期日前に脱稿。しかも珍しく執筆が乗りにのって予定ページ数を大幅にオーバーしてしまう始末。でそのことについては編集者にご迷惑をかけたが、しかしありがたいことに俺が上梓した書籍の中では最も売れることになった。
 そういう意味ではタイトなスケジュールがむしろバネになったと思われる。ふさいでいる場合ではないというか、そういった。

 そしてその直後に上梓した——俺がそれ以前4年にわたりこだわってきた——あるMac用ソフトウェアの最新バージョンの解説本とともに某大手書店の「Mac関連本ベストセラー」でワンツーフィニッシュを飾り、俺はそれらをして、三十路半ばからひょんなきっかけで携わったテクニカルライターという仕事に対し、短い年月だったもののとりあえずのケリをつけたと考えたものである。
 その初版が2002年の3月。

 それからややしばらくして俺はテクニカルライターよりも前からの夢に対してそれを実現するべく歩を進めることになったのだが、未だ海のものとも山のものともつかずに、相も変わらず外勤めにて糊口をしのいでいる次第だ。まあそのことも自己責任なので、ここでは多くは語らない。

 ところでまさにきょうのこと。
 その外勤め先においてチーフさんの机の上に、その書籍がぽんと置かれていてたまげた次第だ。

 訊けば同じく外勤め先の別の先輩が昔に購入、いらなくなったので譲られたとの由。まさかこんな形で自作品と10年ぶりの再会をするとは思わなかった。もちろん俺も所有はしているが、もう何年も押し入れの奥にしまったままだ。
 いやあ、懐かしかった。

 もちろんIT系の書籍なので書かれていることは古く、現在において役に立つ部分は少ない。が、譲渡した側の先輩にも訊いたのだが、仕事において大いに勉強になったとの由。うれしいものだ。

 そしてひさびさに自身最高の著書を手にして思ったのは、その重さと厚み。上記のように予定よりもオーバーした内容のためにびっしりと詰め込まれた文字たち(もちろん編集者の才覚で読みやすくなっているが)。

 あれから10年——いろいろあった。本当に、いろいろ。
 確実に体力も落ちているし10年も経ってまだ夢がカタチになっていないという焦りもまた降り積もっていくばかりだが、
「俺、これを綴ったんだなあ……」
 と。
 あの状況下で、あの期間で。

 正直、武者震いがした。

 ちなみに本ブログにも綴った先月2月4日立春に結婚した親友は、俺が新たな夢に向かって歩を進めて某官公庁の警備隊に勤めていたときに知り合ったわけだが、そのきっかけは彼が、上で綴ったところの某書店で第二位を飾った著書の購読者だったということが出会いのそもそも。
 当時は部署が違うこともあり二三回程度しか顔を合わさなかったがその後mixiで再開し果ては先エントリのようにこの俺が人前結婚式の立会人を務めることになるのだから、ニンゲン何がどうなるかわかったものではない。
 そしてそれはきっと、一所懸命の結果なんだろうなと。

 その彼の結婚式といいきょうのことといい、因縁めくが今年は“そういう年”なのかもしれない。

 この10年の事どもに後悔も多々あるが、だがいっぽうで学ぶことも少なくない。
 正直なところあのまま踏ん張ってMac/Apple系のライターでいればいまごろはウハウハで真鶴に別荘のひとつも建っていたかと思わなくもないが(笑)、まあこの10年がゆえに気づいたこと、深みを知ることができたことのほうがたぶん大事だろう。
 そしてそちらのほうが、俺の本来的「夢」に近しい。

 ついこないだもひさびさの腸閉塞で寝込んだとか過去からの負の応酬や肉体的/精神的な老いを感じることもまた少なくない現実があるが、しかし芸術は長い。

 この先の俺がまたどうなるかわからないし、とどのつまり世間に対して何もできないままに朽ちていくかもしれないとは思う。
 が、とまれ、こうして過去から叱咤激励されまだまだ燃えることができるのはありがたいなあと思った次第だ。
 ー己六才より物の形状《かたち》を写《うつす》の癖《へき》ありて、半百の此《ころ》より数々《しばしば》画図《ぐゎず》を顕《あらは》すといえども、七十年前画《えが》く所は実に取るに足《たる》ものなし。
 七十三才にして稍《やや》禽獣虫魚《ちやうじうちうぎよ》の骨格草木の出生を悟し得たり。
故に八十六才にしては益々進み、九十才にして猶其奥意《なおそのおうい》を極め、一百歳にして正に神妙ならん歟《か》。
 百有《いう》十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん。
 願くば長寿の君子予言《よこと》の妄《まう》ならざるを見たまうべし。

 四十五十は洟垂れ小僧。
 画狂人葛飾北斎卍翁ではないが、“ほんたう”を見られ表現できるのはまだまだこれからかということを信じ、あらためて背筋を伸ばした。

 そんな、過去からの叱咤激励というか挑戦状を受け取ったきょうだったよ。(あ、すでにきのうかw)

 頑張る。

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 変なハナシだが、ガキの時分から「女の子的なもの」へのシンパシイが強い。

 それはたぶん“俺の中でのイメージとしての女の子”なんだろうが、いわゆるロリコンとはまた違い、女の子、そしてご婦人がたがたぶん永遠に持ち続けているであろう或る種の憧憬に対してへ、だろうと思う。

 たとえば前にもつぶやいたが昨年の紅白で椎名林檎が『カーネーション〜女の子は誰でもバージョン』を唄った際に、その後半の——林檎率いる——東京事変『女の子は誰でも』に一瞬にしてヤられたなんてのも、そんな俺が心の奥底に抱えているものの現れだと思っている。



 繰り返しになるがこの楽曲とPVが凄いのは、『奥様は魔女』や『かわいい魔女ジニー』などのアメリカンな往年の魔女ものドラマと(ついでにいえばMGMミュージカルのテイストも)を見事に再現しているところ。また、逆にいえばそうしたものの“魅力を知る土壌”となったNET——現:テレビ朝日・関東圏では「10チャン」——の「魔女っ子もの」つまり『魔法使いサリー』から『魔女っ子メグちゃん』あたりまでで育った俺の心象と、そしていうまでもなく同世代の女の子たちに寄せる思いみたいなもんだと思う。

 俺、魔女っ子が大好きだったんだよね。

 ちょっと歴史的なハナシになるが上記のドラマやテレビまんが(アニメ)が放送されていた当時の1960〜1970年代ってのはまだまだご婦人の社会的地位が過渡期であって、だからこそ社会的呪縛を超えるものが「夢」そして「憧れ」として描かれていたに思う。
 たとえば『ひみつのアッコちゃん』なんてのはたかが“誰かに変身できる”という魔女っ子ものとしては最も“ショボい”能力ながら、場合によっては“男性にも変身できる”というところが強く魅力的だったんじゃないかといまさら気づく。『ふしぎなメルモ』もそうだろう。
 それはもう、たぶん「女性解放」の歴史なんだろうなと。
 小難しいことを語るつもりはないが、まあたぶんそうだろう。先の『奥様は魔女』等、アメリカで先に描かれていたのも含め。
(後年、いわゆる「戦隊もの」が支持されたのも、そんな理由らしい。仮面ライダー以降、女の子たちもライダーキックよろしく暴れたかったとの由。なるほどなあと。モモレンジャーは大発明なわけだ)

 さてところでそうしてご婦人がたが社会的地位とか発言権とかそうしたものをつけていく歴史の流れにおいて、だから男と“同一”であればいいのかといえば、俺はやっぱそれはちょっと違うと思うわけだ。
 もちろん近代社会システムの中において男女は同権であるべきだし、平等な機会は与えられるべき。いうまでもない。

 が、月々のかつて「おんな病」といわれた月経含めご婦人と野郎が生理的に同一になるわけでもなし、そこはまあ互いを尊重し思いやるという心持ちの問題だろうと、俺なんか思うわけだ。
(ま、世の中何でも男女間だけでなく、自分とは違う立場にいる人々への想像力だろうと俺は思ってるんだけどね)

 ハナシを元に戻すが、俺は「女の子の感性」が好きだ。

 このエントリを記そうと思ったきっかけが戦前の雑誌『少女の友』へ取材番組を観たことだった。
 で、いわゆる後期高齢者の当時同雑誌のご婦人がたの意見もさりながら、現代の若きご婦人たちへも『少女の友』が強い訴求力を持っているというハナシ。

 純度が高くて、泣けたなけた。

 俺は『弥生/竹久夢二美術館』にもしげく通ってるんで或る程度は近現代のご婦人がたや少年たちの憧れをわかってたつもりだったが、やっぱり「楔《くさび》だらけの時代の中でいかに自分の思いを表出するか」なんてのは泣ける。まあその辺りは体感しないとね。
 そして俺はそれを単なる、いわゆる「レトロ趣味」に落としたくないんだよな。

 時代変われど揺るがせがたい「女の子指向」、ビュアな「夢」と「憧れ」。それはそれで大事なんだが野郎=男=チンコ的なもんがけっして超えられない、美しい、或るベクトル。
 まあ俺は騎士道主義つうか、ご婦人を包むのが男の仕事だと思ってるんだけどね。


 いやしかしこのエントリを綴りながら聴いてるアルバム『魔女っ子大作戦』の素晴らしいこと!! 
 俺は基本的に「ラナ〜ぁ!」「クラリス〜ぅ!」「シータ〜ぁ!」でありたい男だけど、その原動力もまた女の子への憧憬だろうな。

 トム・ソーヤーでありたいね。





 ……つか、この辺りの命題については今回のエントリでも俺ん中で消化不良なんで、継続的に考察して綴らないとな。(或いは小説で描く)

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 日付変わって誕生日。もう立派な「アラフィフ」だ(笑)

 まあ四十路を迎えたばかりのころに決めた壮大な予定は諸般の事情でなかなか実現できないままに7年という年月が経過したわけだが、とりあえずきょう現在、まだまだ行けるし、さらに頑張ろうとの信念を新たにするわけだ。

 ともかくも30代まで、さらには40代を迎えても見えなかった大切なことたちに——ことにこの一二年の間に——あらためて気づけたことは大きい。三毛猫とか(笑)

 そして少しずつではあるけれども人生における夢の実現へと着実に歩が進んでいる感を、いまこの瞬間に確信できるということはとてもうれしい。

 深みを、得た……って、まだまだ「チャングム人生」続行中だが(笑)

 そうしてきょうは、お祝いをしてくれる大切な人と、たのしくかつ凛としたときを過ごす予定。

 四十五十は洟垂れ小僧。

 あらためて、ミュージカル『ラ・マンチャの男』主題歌『見果てぬ夢』を再生なう!!

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