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武蔵野独り暮らし、日々雑感。
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 前エントリ(→)で後期高齢者後期のオフクロのiPadとの奮闘記を綴り、好評を博した。

 で、あれからオフクロはメールについては概ね習得するに至り、ここ数週間は俺とは電話よりもメールで近況等をやりとりすることが多くなった。
 また、現在米国留学中の孫(俺の上の娘)ともメールのやりとりをするようになり、齢86歳にしてケータイも含めたところの人生初メール生活を満喫しているというわけだ。
 さすが、下総の国、東葛の小原糸子(笑)

 ところが今朝、俺が外勤めの仕事に入る直前にひさびさにiPhoneに電話着信があった。
 よほどのことかと思い折り返したところ、
「メールが使えなくなった。また、青空文庫のアプリが無くなった」
 との由。

 で、幸いにしてお世話になっているヘルパーさんが午後に様子を見にきてくださるとのことだったのでとりあえず進捗を見守っていたところ、15時頃にメールが入った。
 つまりメールについては無事に復旧した証左だったわけだが、青空文庫アプリだけはどうしても見つからないとの記載。
 なので急ぎオフクロに電話連絡を取り、ヘルパーさんに代わってもらいiOSの検索機能を使って青空文庫アプリ=i文庫HDを探してもらったのだが、やはり完全に消失した模様。
 経緯を確認したのだが、どうやら昨日オフクロの家の屋根の修繕の見積もりにやってきた懇意の大工さんがiPadに興味を示し23時過ぎまでいじり倒してたらしいのだが、どうやらその中でi文庫HDを消してしまったらしい。
 はあ、こりゃこりゃ……

 もちろんiOSアプリのこととて再ダウンロードをすればいいわけなのだが、アプリのダウンロードはまだ“あえて”教えていないし、i文庫HDは俺のアカウントで購入したものだ。いかに懇意のヘルパーさんが協力してくださる可能性があるとはいえ、そうそう再ダウンロードのためのパスワードを教えるわけにはいかない。

 そんなわけできょうから地獄の5連勤という最高のタイミング(涙)ということもあり逡巡したのだが、とどのつまり他の日に動くよりはきょうしかないだろうというわけで、外勤め終了後に遠路はるばる武蔵野線ぐるり等々を利用して顔を出し、各種の面倒を見て、つい先ほど帰還したわけだ。

 いやー、疲れた。あした休みてえ(笑)

 まあこれが他のアプリだったら数日待ってもらうこともありだったわけだが、よりにもよって消失したのが「i文庫HD」だったというのが最大の問題。
 何せ前エントリでも綴ったように昭和の大文学少女だった彼女は本当にi文庫HDで気軽に読める青空文庫を大いに気に入っており、すでに多くの作家たちの作品群を読破したらしい。ひょっとするとi文庫HDのヘビーユーザ100選に入るかもしれない(笑)

 というわけでここで青空文庫が読めなくなることでiPadへの興味が薄れてしまっちゃ困るということで、俺も老体に鞭打って出かけた次第。老老介護林檎版(笑)

 とまれ無事i文庫HD復帰。ばあさん、大喜びの巻。
 ついでにiOS5.1へのアップデートも済ませたわけだが、おかげでIIJmio高速モバイル/Dの今月のバンドルクーポンが風前の灯だ(´・_・`)

 まあしかしこんなことでも無い限りは足が遠のきがちなので、とりあえず喜ぶ顔を見られてよかったかなと。やれメールだSNSだつったところで、顔を合わせるにまさるものはないからねえ。
 次はウェブの活用をレクチャ予定。

 そして各種作業をしながら昨今の世情などについてもまたいろいろと語らったのだが、まあ世の中つらいことや考えなければならないこと、また闘わなければならないことも多々あるものの、そういうときに鬱《ふさ》ぎがちな心を救ってくれるのがやっぱり文学なり芸術だよね、と。

「風立ちぬ。いざ生きめやも」

 図らずも両者の口から同時に出た堀辰雄の一節にがっしりと握手をして、武蔵野のサンダーバードは颯爽と秘密基地への帰路についたのだった。

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 今年の始め。
 オフクロ(後期高齢者後期)にiPad 2(Wi-Fi + 3G)をくれてやった。

 正月に顔を出したおり、前日に訪問した孫(=俺の次女。社会人2年目)のiPhoneを見たり数十年来通っているカトリック教会で懇意にしている人が導入したスマートフォンやらを見たりしたらしく、なんやらそうしたものに興味がありそうなことをぶつぶつ呟き始めた——twitterではない——のがきっかけというか起爆剤。
「アンタのそれは何?」
「これはiPhone。○○○(下の娘)が使ってるのと同じだよ」
「アタシにも使えるかしら」
「うーん、iPhoneでも使えるかもしんないけど、iPadのほうがいいかもなー。画面が大きいし」
 といった会話がありさらに、
「○○さん(教会で懇意にしているオフクロよりふた回りぐらい下の前期後期高齢者男性)はパソコンっいうの?……なんか勉強して頑張ってるみたいだけど」
「その気があるなら教えてやるぜ」
 といったやりとりがあったのだが、その後やれパソコンを使うならWindowsはやめたほうがいいだの、これからオフクロがそっち方面に手を出すならばMacさえも飛び越えてiPadのほうが望ましいだの、そしてさらに俺もよせばいいのにAppleの歴史や哲学などを語りここに来て高齢者がiPadに手を出すケースが多いことを説明したら、iPadに興味を持った次第。

 この経緯には、いわゆるITをまったく理解・体験しておらず、数年前にようやっと携帯を持ったにせよやっとワンタッチボタンで俺に電話をかけることしか出来ない彼女に対し、俺に寄せる“面倒”を緩和できるかもしれないという思惑があったからだ。

 何せこちらの都合も考えずにちょっとした用事で電話をかけてくる。それがまず迷惑なのだが、その電話の理由のひとつに現在アメリカ留学している上の娘の消息を知りたいなどというものもあって、このことについては俺自身だってFacebookで彼女の近況を知るしかないわけで……まあつまりオフクロがiPadを入手すればその辺りが若干でも緩和できるかもしれないという期待というやつ。

 で、全体的な流れとしてはなかなかいい感じになってきて、本人iPad買う気満々になってきて「よしよし」と思っていたら、最後のさいごに「金が無い」という大逆転。
 そしてさらにそれが年寄りというものなのだがこれまでの自身が息子や孫にしてきたことなどの実績自慢や恨み節などが始まった日にゃあ、
「うるせえわかったよ! 俺が買ってやる!!」
 という展開になったという次第。
 ま、俺もいいかげん放蕩息子だったし、そのぐらいはな、と。

 というわけで俺の居所地元で当時実施されていたソフトバンクの「新 アレ コレ ソレ キャンペーン」にて上記を購入、数日後に届けたというわけだ。

 まあ正直いえば俺自身が爪に火を灯す生活の中でのソフトバンクへの支払いが毎月ゴセンマンエン弱ほど増えるわけで逡巡しなくもなかったのだが、とどのつまりよかったなと思う。「いまのところ」という括弧付きだが。

 つづめていうと、「オモロイ(©善作@『カーネーション』)」のだ。

 いやなんつうか上記の思惑とは逆に俺個人の時間や肉体的負担は増えることになったのだけど(笑)、変なハナシだがAppleが最も↓な時代にそれを主とするテクニカルライターを経験し先のエントリ(→)でも綴ったような経験があり、そしてかのジョブたんがiPad初号機を発表したときのラストの言葉、
「テクノロジとリベラルアーツの交点」
 にボロボロ落涙した俺にとって、今更ながらまさにきょう(昨日)のハナシだが、
「ホームページってのがよくわからないのよね」
 と宣《のたま》う、今週の『カーネーション』の糸子や奈津とほぼ同い年のオフクロにITと、ことにAppleを伝えることがたまらなく面白い。

 例えば「メール」という俺らが日常あたりまえに使っている言葉さえ、そこからまず説明しなければならない。
「メールってのは、手紙って意味だよ」
 といったところで、それですぐに理解されるわけではない。メーラーを起動してメールをチェックする(=iPadでいえば「メール」アプリをタップする)ということひとつにしても、
「オフクロがよたよたと悪い足で寒い中を外のポストを見にいくでしょ? それと同じなんだよ。この『メール』をぽんってしないと、メールつまり手紙は読めないんだよ」
 といったことから始めければならない。
 面倒くさいが、それがまたいい。

 これ以上の詳細は割愛するが、なんのIT系知識も無い90歳になんなんとするしかも同居をしていないご婦人に短い時間をしてiPadの使いかたを教えるということは、激烈に困難だ。
 がしかし、エキサイティングでもある。

 面白いことに、iPadをしてもオフクロがすぐに理解できるメタファやインターフェイスもあれば、なかなか理解できないものもある。
 そしてAppleそして何よりジョブたんってのは、こういうことを常に求めどうしたらいいかを考え続けている(た)のだと、あらためて思う。俺自身が、いい勉強をしているのだ。

 Macintosh誕生以前の俺の大好きな“伝説”のひとつに、マウスのボタンをいくつにするかについて、Appleは4歳の女の子から84歳までご婦人に対し数年かけてモニタリングしたというのがある。
 そしてとどのつまり、「1つがいい」。
 多くは語らないが、大事なことだと思う。

 そしてきょう「へえ〜っ!!」と思ったのだが、オフクロにiPadの「タップ」をさせると、いうことをきかないことが多い。
 なぜかといえば、彼女はタップを“押し込み過ぎる”んだよな。例えばメールの送信ボタンを“ぽんっ”と触れてすぐに指を放せばいいものを、“ぐぐっ”と押しすぎる。そうすると、何の反応もしない。
 それは彼女のIT機器に対する「畏れ」なのかなとも思ったのだが、Appleが提供しているタッチ操作の微妙な“匙加減”等々は出来る立場からすれば単純行為だが、それでも“取りこぼし”はある。この辺りは、今後のAppleの課題だろうな。
(だから音声かもしれないが、それが正解とも限らない)

 さてところで基本的には俺がオフクロと同居するなりもっと頻々に通うなりすれば、いわゆる”拾得”はもっと早いかもしれない。
 が、それがなかなかどうしてというのが、
「人、生きる。」
 なのだな。正論だけではないのだ世の中は。

 とまれ今宵の3時間ほどのレクチャで、オフクロはなんとかメールの送受信については拾得した模様。明日——というかすでにきょうだが——テストをする。

 さらにところで。

 iPadを“手渡す”にあたり、オフクロにとっての未知の道具に対していかに“あきらめない”かを逡巡したものだ。

 その辺りの経緯についてはtwitterではつぶやいていたが、それはまた稿を譲る。
 とまれまず考えたのが、俺自身にも大きな影響を与えているところの、“文学少女”としてのオフクロ。
 だから譲渡時にアプリ「i文庫HD」をインストールし『青空文庫』の読みかたをまずレクチャした。わかったような、わかってないような感じだったが。あと、音楽の聴きかた(オフクロが好きそうな曲は入れといた)

 そしてきょうのレクチャの中でオフクロがふといった。
「メールとかホームページとかはよくわかんないけど、青空文庫は読んでるよ」
 いや、これはぐっと来た。
「アンタ、えらいよ! そんなばあさんは、そんなにいねえぜ!!」
 と、言葉にもした。

 あえて多くは語るまい。
 きょうのレクチャはメールについてだったが、たとえそれが会得されないにせよ、よしよしと思うわけだね。

 ITデバイスはヒトをしあわせにしてこそのモノってなハナシであって、ここまで綴ってきたような半ば以上に心象的なもんがあっても、それはそれでいいじゃねえた。是か非か、性か否か——そんないわゆるデジタルでは語れないものをもたらしてくれるから、俺はAppleが好きだ。そんなことを、あらためて思った。

 まあ今後ばばあがくたばるまで面倒みなきゃいけねえのか俺とか現象的にはややこしいもんも多々あるが、まあまあまずまず、い〜い感じに“俺が出来ること”をしてるかな……なんて、ちっと考えた次第。

 というわけで、オフクロがiPad入手について“手書き”で教会報に載せたらしい文章を。拡張子が「.htm」ってあたりが1990年代、Windows 98とか臭いっすね(笑)
http://www10.plala.or.jp/cathkasu/timote.htm

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 こなさん、みんばんは。
『カーネーション』について綴った前エントリが空前の22拍手(本日現在)を得て気を良くしている、国木田独居こと翡翠伊作です(^o^)

 さて、発表されましたねiPad新モデル。その名も「新しいiPad」(笑)
 まあiPhone含めこれまでのように数字だのGSだのSだのがくっついて「どれが誰の子ぉやらわかりません(笑)」状態よりも、Macのようにすべて無印として世代で区別するほうがすっきりしてて個人的にはいいと思います。
 で、ちょっとだけ悩みましたがiPad 2を見送って2年弱“初号機”を愛用してきたこともあり、ここはやはり“三世”は買《こ》うちゃろちゅうことで、さっそくオンラインのApple Storeでぽちっちゃりました(売る際に安ぅなるのは覚悟の上で、無料刻印なんかも含めて。どういう刻印だかはとりあえずナイショ)。
 到着が楽しみ♪( ´▽`)

 ところで同時にリリースされた「iOS 5.1」も、さっそく朝起きてすぐにiPadとiPhone 4Sにインストールした。
 iPadのほうはまあせいぜいが不具合修正といったところだが、iPhoneのほうのお楽しみはやっぱ何といっても「Siri子さん」
 ちなみに、ロゼット洗顔パスタではない(←それは白子さん)
 
 日本語版Siri子さんの声は、MacやiOSでも以前から「テキスト読み上げ」機能に使われていた『Kyoko』さん。
 俺はこれまでもけっこうKyokoさんとは遊んでいて、「『モヤさま』ごっこ」をしたりtwitterでもこんなこと(→)をつぶやいたりしていただけに、彼女の声がそのまま採用されてよかったよかったって感じ。アナウンス=会話がいかにもな感じなのもご愛嬌というか、KyokoちゃんかわいいよKyokoちゃん♡(ここ、ヒロシ@野沢雅子さまでお願いします)

 というわけでご多分に漏れずきょう一日少しばかり試してみたのだけど、まあ何というかSiriやっぱ凄いすっね。

 いま現在はサーバが混雑しているのか正常動作しなかったり、あるいは、
「椎名林檎の『カーネーション』を再生して」
 で、なぜか佐野元春『ガラスのジェネレーション』が再生されたりしてそうしたまだまだ感は否めないものの、こうした初動のお茶目さんぶりもまた楽しんでしまうことこそが林檎派クオリティというもの。
(Kyokoちゃんの名誉のために付け加えると、インストール直後にはちゃんと林檎の『カーネーション』を再生してくれた)

 今後どんどんと日本語版SiriもブラッシュアップされていってHAL9000やらナイトライダー的になっていくのかと思うと、わくわくする次第。
 つか、どうしてiPad“三世”でSiriがサポートされなかったのだろう? 教えて、エロい人!

 ところでSiriを使ってみてあらためて思うのは、日本と諸外国との「声によるコミュニケーション」の考えかたというか文化の違い。
 このことの詳細はまた稿を別にしたいと思うのだが、Siriなどが一般的になってくると、例えば公共交通機関内などでの「通話はご遠慮ください」なども見直しが必要になってくるのではないだろうか。
 他国の実際は知らないのだが、国内の列車内などで西欧人や中国人などが携帯通話のみならず複数人での会話に実に遠慮が無いとライダーなのはよく体験するところ。それは彼らがマナーを知らないというのではなくて、そも「公共の場所では静かにする」というのが、日本や一部の国だけでの価値観なのではなどと考えたりもするわけだ。
 ヘッドセットによる通話なんかもそうで俺はiPhone以降わりと路上を歩きながらヘッドセットで通話をしちゃう人だったりするんだけど、やっぱハタから見りゃあ変な人だよなと。
 そんなことも含め、色々と考えさせてくれるKyokoちゃん/Siri子さんだったりするわけだね。

 というわけでそろそろ蓐《しとね》へ。
 さっきKyokoちゃんにお願いして、明朝の目覚ましアラームをセットしてもらった俺ですよ。

 サーバの輻輳(?)も回復したみたい。
「おやすみ、Siri」
 って話しかけたら、
「おやすみなさい、Kawasemi」
 だって!!

 いゃあん、やっぱかわいいよKyokoちゃん♡(笑)

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今宵、NHKラジオ第一で『みんなのうた』の特番が放送されることを思い出したのが、外勤め入り直前。ビッグマック200円也(17日迄)をパクついてるときだった。

がーん! 録音予約してこなかった!!(T ^ T)

というわけで、やれ誰かに連絡して録音してもらおうかとかiPhoneで録音ができるという触れ込みの有料アプリを急きょ買っちゃおうかとか色々と逡巡し、とどのつまりあきらめるしかないかと思ったその瞬間ーー

俺には『LogMeIn』という強い味方があったことが判明!!

さっそくiPhoneから居所のMacにログイン、『ラジ録2』を操作して録音予約を完了したという顛末。

いやー、LogMeInを導入してた俺えらいヽ(;▽;)ノ

というわけで、帰ってから聴くのが楽しみなのである。

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 われらAppleのファンは、本国アップルのCEOスティーブ・ジョブズをして、敬意と愛情をもって「禿」と呼ぶ。
 ないしは、「林檎禿」とも(笑)
(主に2ちゃんねる的用例)

 で、iPhoneがソフトバンクモバイル(SBM)から発売がされてよりこちら、それに倣い同社社長の孫正義をして「和禿」と呼ぶこともまた定着しつつあるわけだが、この一年強をiPhoneと共に戦ってきた1ユーザの立場からしても、
「iPhoneがSBMから出て、本っ当に良かった!!」
 と思う次第だ。

 たしかにいまだ電波の云々とかでSBMを(ことにdocomoとの比較論で)なじる意見もかまびすしいわけだが、そんなことよりもむしろ、和禿がただの経営者としてだけではなくiPhoneという画期的デバイスを1ユーザとして愛している姿勢に感謝する。

 たとえば、愛するがゆえにiPhone登場当初のニッポンのユーザに対する訴求力の弱点もまた熟知していて、自らApple本社に何度も出向き、
「ニッポンでは『絵文字』が大事なんですよ!!」
 と主張して、ついにはiPhoneで絵文字を使えるようにしたとやら。
 泣ける話だと思うわけだ。


 さて、そんな「和禿」がまたやってくれた。

 すでにさまざまなニュースソースで報じられているが、ここは代表して「ケータイWatch」より。

◎ソフトバンク、四半期ベースで最高の営業利益に

上記表題はともかくとして、肝心なのは以下の記事。
 また、孫社長は、決算会見に出席した記者・アナリストに対して、iPhone 3GSを所有しているかどうか挙手を求めたが、あまりにも少ない結果を見て、「みなさん人生観を変えた方がいい。PC人間だった私が、PCを使う頻度が10分の1になり、インターネットに接続する頻度は10倍以上になった。iPhoneなしでよく生きてきたなと思っている。PCやインターネットに出会った時に匹敵する感動があった。みなさんがホワイトカラーだと思うのならば、一度iPhoneを使ってみてほしい。その上で、iPhoneの批判ができるのであれば、頭がどうかしていると思う。iPhoneを見て感じるのは、織田信長は鉄砲を見て『鉄砲の時代がくる』と感じたこと。しかし、刀を持っている人のなかには、それにこだわり続けた人もいた。モノの見方の次元が違うということであり、鉄砲を知る立場から見れば、それは可哀想なことだ」などとした。

 いやもう、まったくだ!! 孫さん、アンタは偉い!!!

 上記引用はすでにiPhoneユーザからすればほとんど100%の人が「うん、うん……」とうなづくものだと思うが、こういう意見はなかなかに「一経営者」からは出るものではなかろう。
 ま、漢《おとこ》だなと、ぼくなんぞは思うわけだ。
 いろいろとつらいこと、我慢しなけりゃいけないこと、しのばなければいけないとこもあったろうに……よくぞ頑張ってくれました!
 理性あるiPhoneユーザは、ほとんどみんなが貴男に感謝しているはずですよ!!


 さてそれで、ぼくもあえて……というか正直な意見をいえば、
「いまだiPhone使わないのは馬鹿」
 と、口角泡を飛ばして言っちゃおう。


 まあこれまでにApple製品に触れたこともなく、Windowsなりニッポン型ケータイしか知らないかたがたがよくわかんなーい('80年代女子大生風味)のもまあわかる。

 が、中にはApple製品の旧来のユーザのくせに些事にこだわってiPhoneを使っていないような人々もいて、いやそれは駄目だろうと、ぼくなんぞは思うわけだ。
 かわいそうで、泣ける。


 まあともかく、iPhone使おう! 特に「3GS」なんてすごいぜ。


 嗚呼、欲しいなあ。3GS(笑)

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