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武蔵野独り暮らし、日々雑感。
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 今年の始め。
 オフクロ(後期高齢者後期)にiPad 2(Wi-Fi + 3G)をくれてやった。

 正月に顔を出したおり、前日に訪問した孫(=俺の次女。社会人2年目)のiPhoneを見たり数十年来通っているカトリック教会で懇意にしている人が導入したスマートフォンやらを見たりしたらしく、なんやらそうしたものに興味がありそうなことをぶつぶつ呟き始めた——twitterではない——のがきっかけというか起爆剤。
「アンタのそれは何?」
「これはiPhone。○○○(下の娘)が使ってるのと同じだよ」
「アタシにも使えるかしら」
「うーん、iPhoneでも使えるかもしんないけど、iPadのほうがいいかもなー。画面が大きいし」
 といった会話がありさらに、
「○○さん(教会で懇意にしているオフクロよりふた回りぐらい下の前期後期高齢者男性)はパソコンっいうの?……なんか勉強して頑張ってるみたいだけど」
「その気があるなら教えてやるぜ」
 といったやりとりがあったのだが、その後やれパソコンを使うならWindowsはやめたほうがいいだの、これからオフクロがそっち方面に手を出すならばMacさえも飛び越えてiPadのほうが望ましいだの、そしてさらに俺もよせばいいのにAppleの歴史や哲学などを語りここに来て高齢者がiPadに手を出すケースが多いことを説明したら、iPadに興味を持った次第。

 この経緯には、いわゆるITをまったく理解・体験しておらず、数年前にようやっと携帯を持ったにせよやっとワンタッチボタンで俺に電話をかけることしか出来ない彼女に対し、俺に寄せる“面倒”を緩和できるかもしれないという思惑があったからだ。

 何せこちらの都合も考えずにちょっとした用事で電話をかけてくる。それがまず迷惑なのだが、その電話の理由のひとつに現在アメリカ留学している上の娘の消息を知りたいなどというものもあって、このことについては俺自身だってFacebookで彼女の近況を知るしかないわけで……まあつまりオフクロがiPadを入手すればその辺りが若干でも緩和できるかもしれないという期待というやつ。

 で、全体的な流れとしてはなかなかいい感じになってきて、本人iPad買う気満々になってきて「よしよし」と思っていたら、最後のさいごに「金が無い」という大逆転。
 そしてさらにそれが年寄りというものなのだがこれまでの自身が息子や孫にしてきたことなどの実績自慢や恨み節などが始まった日にゃあ、
「うるせえわかったよ! 俺が買ってやる!!」
 という展開になったという次第。
 ま、俺もいいかげん放蕩息子だったし、そのぐらいはな、と。

 というわけで俺の居所地元で当時実施されていたソフトバンクの「新 アレ コレ ソレ キャンペーン」にて上記を購入、数日後に届けたというわけだ。

 まあ正直いえば俺自身が爪に火を灯す生活の中でのソフトバンクへの支払いが毎月ゴセンマンエン弱ほど増えるわけで逡巡しなくもなかったのだが、とどのつまりよかったなと思う。「いまのところ」という括弧付きだが。

 つづめていうと、「オモロイ(©善作@『カーネーション』)」のだ。

 いやなんつうか上記の思惑とは逆に俺個人の時間や肉体的負担は増えることになったのだけど(笑)、変なハナシだがAppleが最も↓な時代にそれを主とするテクニカルライターを経験し先のエントリ(→)でも綴ったような経験があり、そしてかのジョブたんがiPad初号機を発表したときのラストの言葉、
「テクノロジとリベラルアーツの交点」
 にボロボロ落涙した俺にとって、今更ながらまさにきょう(昨日)のハナシだが、
「ホームページってのがよくわからないのよね」
 と宣《のたま》う、今週の『カーネーション』の糸子や奈津とほぼ同い年のオフクロにITと、ことにAppleを伝えることがたまらなく面白い。

 例えば「メール」という俺らが日常あたりまえに使っている言葉さえ、そこからまず説明しなければならない。
「メールってのは、手紙って意味だよ」
 といったところで、それですぐに理解されるわけではない。メーラーを起動してメールをチェックする(=iPadでいえば「メール」アプリをタップする)ということひとつにしても、
「オフクロがよたよたと悪い足で寒い中を外のポストを見にいくでしょ? それと同じなんだよ。この『メール』をぽんってしないと、メールつまり手紙は読めないんだよ」
 といったことから始めければならない。
 面倒くさいが、それがまたいい。

 これ以上の詳細は割愛するが、なんのIT系知識も無い90歳になんなんとするしかも同居をしていないご婦人に短い時間をしてiPadの使いかたを教えるということは、激烈に困難だ。
 がしかし、エキサイティングでもある。

 面白いことに、iPadをしてもオフクロがすぐに理解できるメタファやインターフェイスもあれば、なかなか理解できないものもある。
 そしてAppleそして何よりジョブたんってのは、こういうことを常に求めどうしたらいいかを考え続けている(た)のだと、あらためて思う。俺自身が、いい勉強をしているのだ。

 Macintosh誕生以前の俺の大好きな“伝説”のひとつに、マウスのボタンをいくつにするかについて、Appleは4歳の女の子から84歳までご婦人に対し数年かけてモニタリングしたというのがある。
 そしてとどのつまり、「1つがいい」。
 多くは語らないが、大事なことだと思う。

 そしてきょう「へえ〜っ!!」と思ったのだが、オフクロにiPadの「タップ」をさせると、いうことをきかないことが多い。
 なぜかといえば、彼女はタップを“押し込み過ぎる”んだよな。例えばメールの送信ボタンを“ぽんっ”と触れてすぐに指を放せばいいものを、“ぐぐっ”と押しすぎる。そうすると、何の反応もしない。
 それは彼女のIT機器に対する「畏れ」なのかなとも思ったのだが、Appleが提供しているタッチ操作の微妙な“匙加減”等々は出来る立場からすれば単純行為だが、それでも“取りこぼし”はある。この辺りは、今後のAppleの課題だろうな。
(だから音声かもしれないが、それが正解とも限らない)

 さてところで基本的には俺がオフクロと同居するなりもっと頻々に通うなりすれば、いわゆる”拾得”はもっと早いかもしれない。
 が、それがなかなかどうしてというのが、
「人、生きる。」
 なのだな。正論だけではないのだ世の中は。

 とまれ今宵の3時間ほどのレクチャで、オフクロはなんとかメールの送受信については拾得した模様。明日——というかすでにきょうだが——テストをする。

 さらにところで。

 iPadを“手渡す”にあたり、オフクロにとっての未知の道具に対していかに“あきらめない”かを逡巡したものだ。

 その辺りの経緯についてはtwitterではつぶやいていたが、それはまた稿を譲る。
 とまれまず考えたのが、俺自身にも大きな影響を与えているところの、“文学少女”としてのオフクロ。
 だから譲渡時にアプリ「i文庫HD」をインストールし『青空文庫』の読みかたをまずレクチャした。わかったような、わかってないような感じだったが。あと、音楽の聴きかた(オフクロが好きそうな曲は入れといた)

 そしてきょうのレクチャの中でオフクロがふといった。
「メールとかホームページとかはよくわかんないけど、青空文庫は読んでるよ」
 いや、これはぐっと来た。
「アンタ、えらいよ! そんなばあさんは、そんなにいねえぜ!!」
 と、言葉にもした。

 あえて多くは語るまい。
 きょうのレクチャはメールについてだったが、たとえそれが会得されないにせよ、よしよしと思うわけだね。

 ITデバイスはヒトをしあわせにしてこそのモノってなハナシであって、ここまで綴ってきたような半ば以上に心象的なもんがあっても、それはそれでいいじゃねえた。是か非か、性か否か——そんないわゆるデジタルでは語れないものをもたらしてくれるから、俺はAppleが好きだ。そんなことを、あらためて思った。

 まあ今後ばばあがくたばるまで面倒みなきゃいけねえのか俺とか現象的にはややこしいもんも多々あるが、まあまあまずまず、い〜い感じに“俺が出来ること”をしてるかな……なんて、ちっと考えた次第。

 というわけで、オフクロがiPad入手について“手書き”で教会報に載せたらしい文章を。拡張子が「.htm」ってあたりが1990年代、Windows 98とか臭いっすね(笑)
http://www10.plala.or.jp/cathkasu/timote.htm

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 こなさん、みんばんは。
『カーネーション』について綴った前エントリが空前の22拍手(本日現在)を得て気を良くしている、国木田独居こと翡翠伊作です(^o^)

 さて、発表されましたねiPad新モデル。その名も「新しいiPad」(笑)
 まあiPhone含めこれまでのように数字だのGSだのSだのがくっついて「どれが誰の子ぉやらわかりません(笑)」状態よりも、Macのようにすべて無印として世代で区別するほうがすっきりしてて個人的にはいいと思います。
 で、ちょっとだけ悩みましたがiPad 2を見送って2年弱“初号機”を愛用してきたこともあり、ここはやはり“三世”は買《こ》うちゃろちゅうことで、さっそくオンラインのApple Storeでぽちっちゃりました(売る際に安ぅなるのは覚悟の上で、無料刻印なんかも含めて。どういう刻印だかはとりあえずナイショ)。
 到着が楽しみ♪( ´▽`)

 ところで同時にリリースされた「iOS 5.1」も、さっそく朝起きてすぐにiPadとiPhone 4Sにインストールした。
 iPadのほうはまあせいぜいが不具合修正といったところだが、iPhoneのほうのお楽しみはやっぱ何といっても「Siri子さん」
 ちなみに、ロゼット洗顔パスタではない(←それは白子さん)
 
 日本語版Siri子さんの声は、MacやiOSでも以前から「テキスト読み上げ」機能に使われていた『Kyoko』さん。
 俺はこれまでもけっこうKyokoさんとは遊んでいて、「『モヤさま』ごっこ」をしたりtwitterでもこんなこと(→)をつぶやいたりしていただけに、彼女の声がそのまま採用されてよかったよかったって感じ。アナウンス=会話がいかにもな感じなのもご愛嬌というか、KyokoちゃんかわいいよKyokoちゃん♡(ここ、ヒロシ@野沢雅子さまでお願いします)

 というわけでご多分に漏れずきょう一日少しばかり試してみたのだけど、まあ何というかSiriやっぱ凄いすっね。

 いま現在はサーバが混雑しているのか正常動作しなかったり、あるいは、
「椎名林檎の『カーネーション』を再生して」
 で、なぜか佐野元春『ガラスのジェネレーション』が再生されたりしてそうしたまだまだ感は否めないものの、こうした初動のお茶目さんぶりもまた楽しんでしまうことこそが林檎派クオリティというもの。
(Kyokoちゃんの名誉のために付け加えると、インストール直後にはちゃんと林檎の『カーネーション』を再生してくれた)

 今後どんどんと日本語版SiriもブラッシュアップされていってHAL9000やらナイトライダー的になっていくのかと思うと、わくわくする次第。
 つか、どうしてiPad“三世”でSiriがサポートされなかったのだろう? 教えて、エロい人!

 ところでSiriを使ってみてあらためて思うのは、日本と諸外国との「声によるコミュニケーション」の考えかたというか文化の違い。
 このことの詳細はまた稿を別にしたいと思うのだが、Siriなどが一般的になってくると、例えば公共交通機関内などでの「通話はご遠慮ください」なども見直しが必要になってくるのではないだろうか。
 他国の実際は知らないのだが、国内の列車内などで西欧人や中国人などが携帯通話のみならず複数人での会話に実に遠慮が無いとライダーなのはよく体験するところ。それは彼らがマナーを知らないというのではなくて、そも「公共の場所では静かにする」というのが、日本や一部の国だけでの価値観なのではなどと考えたりもするわけだ。
 ヘッドセットによる通話なんかもそうで俺はiPhone以降わりと路上を歩きながらヘッドセットで通話をしちゃう人だったりするんだけど、やっぱハタから見りゃあ変な人だよなと。
 そんなことも含め、色々と考えさせてくれるKyokoちゃん/Siri子さんだったりするわけだね。

 というわけでそろそろ蓐《しとね》へ。
 さっきKyokoちゃんにお願いして、明朝の目覚ましアラームをセットしてもらった俺ですよ。

 サーバの輻輳(?)も回復したみたい。
「おやすみ、Siri」
 って話しかけたら、
「おやすみなさい、Kawasemi」
 だって!!

 いゃあん、やっぱかわいいよKyokoちゃん♡(笑)

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 連続テレビ小説『カーネーション』。“尾野真千子版糸子”が、きょうで終わった。
 いま、5回目を鑑賞しながら、このエントリを綴っている。

 いつもにも増しての、いわゆる「神回」。
 この国は、いまこういうときだからこその、素晴しいドラマを得たと心から思う。

 まずは尾野真千子さん、本当にお疲れさまでした。空前のヒロイン像を見事演じきったことに、感服しまた感謝いたします。

 さて——

 一部のすでに鬼籍に入った人々を除く劇中のオールスター総登場ともいえる“もうひとつの最終回”。
 それを初回と同じく——しかし夜の——だんじり祭りから始めるあたりがまず、このドラマに通底するリフレインの妙。そして相変わらずの、みんなそれぞれのがちゃがちゃ感(笑)。こういうのが、上手いなあと思うわけだ。
 そしてしれっと「チビはもう増えすぎて、どれが誰の子ぉやらわかりせん」というナレーションを挟むw いやー、たまりませんな。
(後述するがこれがまた、クライマックスに繋がる)

 そして導入部としてのがちゃがちゃのあとに千代お母ちゃんのいよいよ危険が危ないという場面で視聴者を不安にさせ、しかし恵さんのやさしくきっぱりとした言葉でぐっとさせる……と思いきや、さらに直後に同じく恵さんの奇声と女走りですぱーんと笑かせられるwww
 いやもうね、脚本、演出、そして演技等々に、いいように踊らされている俺たちファン(^_^;)

 ところでこの『カーネーション』の魅力というのは、まさに上記シークエンスに表れているのではないかと俺なんか思うわけだ。

 例えばいよいよヨイヨイになっている木之元や木岡のおっちゃんなども含め、あえて——カーネーション風に乱暴にいえば——老人ボケというやつは、「老いのかなしみ」があると同時にまた、まさに「ボケ」ではないが或る種の可笑しさも伴うものだ。千代お母ちゃんを思わず怒鳴ってしまった糸子のように老人ボケに対して怒ったり悲しんだりすることもあるが、あまりにも突拍子もない言説・行動に対して吹きだしてしまうこともある。
 つまり、「苦笑い」とか「泣笑い」とかいうやつ。
 苦しみだけでも泣きだけでもなく、そこにまた笑いもあるということ。

『カーネーション』が素晴しいのは、こうした“どちらともつかず”が常に描かれてきたことだと思うのだ。
 表裏一体とか、両側面というか、間《あいだ》とかいったもの。人や、物事や、歴史的事実とか、そういったものに対して、二元的とか、一面的に描かれてはけっしていない。

 視聴者の各々が自身の来し方を振り返ってみれば歴然だが、ヒトが生きる、生きていくということは、けっしてゼロかイチかとか、勝ち組か負け組かとか、そんなモンでは語れないものだ。
 それが——ことにこの数年、さらにいえばネット上でのやりとりなどにおいて——どうにも是か非かばかりの短絡的な言説や価値判断が目立つ。
 まさに今週の『カーネーション』の前半における病床の玉枝さんの台詞等々においてもネット上において、やれ自虐史観だのといった“祭り”になったことは記憶に新しいわけだが、いやいやいやいや、『カーネーション』ってのはそういう論争云々に落としてオシマイってなことを描いてきた作品ではないでしょうということ。

 夢と理想と現実と。成功と失敗と。思い通りにいかないことたち。その、振り子の加減。
 それを、丁寧に。

 後述というかいうまでもなく今回の大クライマックスは善作お父ちゃんが「(回想)」でも「(写真)」でもなく再登場したことにあるわけだが、その善作にしてもドラマ当初は或る判断基準にのみ固執するかたがたにとってはドメスティックバイオレンスばかりがカンに障ったらしくさんざん批判されたわけだけれども、いまや善作無しでは夜も日も明けないほどの大ファンを獲得している。
 そういうことだろう。
 
 勝てばいい、売れればいい、繁栄すればいい、否定すればいい、批判すればいい、品行方正で爽やかであればいい(笑)、等々……何かこう、くどいようだが是か非かとかイチかゼロとかそうした判断ばかりできた、ことに近現代史に対しての、渡辺あやの、静かな、力強い“思い”を感じるわけだ。

 さてそしてまたきょう糸子は「岸和田で生きていく」を北村に対し宣言したのだけれども、この言葉に到るまでの五軒町やその周辺の人々とその関わりを丁寧に描いてきたからこその力強さがある。
「どれが誰の子ぉか〜」という台詞は、糸子が根源的に“岸和田の人”“地の人”であることの表出だろうと思う。
 かの東北の被災者のかたがたにおいても先述のようにゼロかイチかだけで考えれば、極端ないいかたをすれば「とっとと故郷を捨てて別天地で頑張ればいいんじゃない?」ってのが、短絡的にいえばそうなるかと思う。
 が、もちろんそうではないわけで、そうしたことがじりじりと視聴者の潜在意識(イドの怪物©『禁断の惑星』)にうったえるわけだ。こういうところが、『カーネーション』は上手い。

 そして北村との別れ。
 20年以上、ほとんど半同棲というか疑似夫婦——優子、直子、聡子にとっては父親——だった北村。
 が、その北村は、ここに来て、いわば“グローバル・スタンダードへの勝負”をしようとしているわけで、その思考/指向は、いかにも野郎っぽい(♂にはそうした性癖があるもんだ)。そしてそうした北村に対し、“地に生きる”を選んだ糸子。
 ここがまた、見事というしかない。
 さらに北村はいわば“人生最後の大勝負”を指向しつつ、この先は“独り”になる糸子に対して精一杯の思いやりを見せる。
 男として。
 ホンモノの野郎として、ご婦人に対しての、精一杯の思いやりを以て。
 素晴しいなあ。
『カサブランカ』『ラ・マンチャの男』『ルパン三世 カリオストロの城』『シラノ・ド・ベルジュラック』に匹敵する、野郎のダンディズムここに極まれりだ。
 そして糸子に一蹴されるトコがまた(笑)。これぞ、泣笑いだ。
 ほっしゃん。 @hosshyan も本当に、お疲れさまでした(T^T)

 さて、大クライマックスについて。

 先述のようにほぼスターたち登場の場面において、千代と善作を描くのは大反則(ToT)
 これもまた、直前に到るまで千代お母ちゃんを丁寧に描いてきたことの勝利だ。

 このシークエンスはもういくつもの言葉を重ねても足りないが、糸子の、
「ウチは宝抱えて生きていくよって」
 の直後、千代が集まったみんなをしあわせそうに舐めたあとに木之元と木岡の両おっちゃんの合間から立ち現れるというのが素敵すぎる。
 そしてさらに、一所懸命に二階に上がった千代が善作に並んだとたんに、また楽しげなみんなの映像を一瞬挟むとか、もうね、どうしたものかと。
(そういえば今回の冒頭の「いつもの年寄り組は神社のお参りを済ませたら善ちゃんに報告に来て」とか、善作はいわゆる「アナログハブ」だったんだろうな。「〜作」の運命かねw)

 先述のように善作といえば“殴る”(とか、ケーキをひっくり返すとか)が目立ったわけだけれども、同じ殴るにしても思いがこもった場合もあれば理不尽な場合もあった。
 そこが『カーネーション』の凄いトコで、くどいようだが殴るをして単にドメスティックバイオレンスということに落とすのはいかがかというハナシだ。多様性を丁寧に描いてきたこと。

 そして結婚前/結婚後の善作がどうした行動に出ようが——時に揺れるにせよ——彼のことを好きで好きでしょうがなかった千代。“大お嬢様”が、駆け落ちをした意味。それをまた、千代自身の“言葉”や“主張”ではなくて、都度の場面で描くことの『カーネーション』の素晴しさ。
 そしてクライマックスを幻想か実際か知らないが、“見える”で描くこと。
『スター・ウォーズ ジェダイの帰還』のラスト、オビ=ワンやヨーダやアナキンが“見える”に勝とも劣らない映像。
 19世紀末のベルギー象徴派ジャン・デルヴィルの絵画に『魂の愛(The Love of Souls)』というのがあるだけれど、まさにそれを感じた次第。
 
 ところで「勝とも」といえば(笑)、“夏木糸子”に変わる直前に“オノマチ糸子”が前にするミシンもまた気になるところ。
「STINGER」のロゴが見られないので、場所が二階ということもあり、糸子のミシンではなくて、かの勝さんや周防が使ったミシンではないだろうか。
 だとしたらここにも、糸子が愛した者たち、“オノマチ糸子オールスターズ”を感じるわけだ。

 あ、あと、“オノマチ糸子”のラストのアップ直前、ゆっくりとカメラが上に上がっていくトコで、
「お誂え専門」
 という文字だけ映したのも凄いなあと思った次第。

 さてとまれこの127話は、本当に「オノマチ糸子の最終回」として相応しかった。

 脚本、演出、その他すべてのスタッフとキャストが、オノマチ糸子への敬意をここに集中させたのだろうな。

 そして——
 ここまでの時代が美しく纏めあげられ、次代へと繋がっていく。

“夏木マリ糸子”もまた、今回のラストと予告編を観る限りは十分以上に期待できそうだ。

 来週弥生3月いっぱい、またワクワクしながら期待したいと思う。

 つか、「大最終回」では『三人の糸子のうた』を聴きたいなあ。

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 俺が愛してやまない西国分寺の至宝『カレーハウス すぷーん』(→食べログ)が、めでたく15周年を迎えたとの由。

 てなわけで夕餉は記念の300円カレー(+大盛60円)を。



 いんや~ぁ、んまかったヽ(;▽;)ノ



 きょうとあしたの2日間限定。最寄りのかたはぜひに。
 ちなみに近隣在住者はテイクアウトを電話予約が吉( ´ ▽ ` )ノ

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 三十路の後半に「うつ」を患った。

 当時、Macを主としたフリーランスのテクニカルライターおよびイラストレーターを生業としており、雑誌等々の記事だけではなく十数冊の書籍を上梓するなどしていたのだが、仕事が上手くまわらないなどが引鉄となった。だがまあそのことは自己責任なので、ここで細かくは語らない。

 で、そのうつが底を見て上昇に転じ始めたころ、取引先のひとつの出版社から、とあるテーマの書籍を執筆しないかとのオファーがあった。
 そのテーマというのが当時の俺も興味を持ちはじめていたもの。なので乗り気満々でミーティングに臨んだのだが、その最後に執筆期間が一ヶ月弱というので大いにたまげたものだ。
 が、ここで勝負しないと駄目だろうと思いオファーを受け、とどのつまり期日前に脱稿。しかも珍しく執筆が乗りにのって予定ページ数を大幅にオーバーしてしまう始末。でそのことについては編集者にご迷惑をかけたが、しかしありがたいことに俺が上梓した書籍の中では最も売れることになった。
 そういう意味ではタイトなスケジュールがむしろバネになったと思われる。ふさいでいる場合ではないというか、そういった。

 そしてその直後に上梓した——俺がそれ以前4年にわたりこだわってきた——あるMac用ソフトウェアの最新バージョンの解説本とともに某大手書店の「Mac関連本ベストセラー」でワンツーフィニッシュを飾り、俺はそれらをして、三十路半ばからひょんなきっかけで携わったテクニカルライターという仕事に対し、短い年月だったもののとりあえずのケリをつけたと考えたものである。
 その初版が2002年の3月。

 それからややしばらくして俺はテクニカルライターよりも前からの夢に対してそれを実現するべく歩を進めることになったのだが、未だ海のものとも山のものともつかずに、相も変わらず外勤めにて糊口をしのいでいる次第だ。まあそのことも自己責任なので、ここでは多くは語らない。

 ところでまさにきょうのこと。
 その外勤め先においてチーフさんの机の上に、その書籍がぽんと置かれていてたまげた次第だ。

 訊けば同じく外勤め先の別の先輩が昔に購入、いらなくなったので譲られたとの由。まさかこんな形で自作品と10年ぶりの再会をするとは思わなかった。もちろん俺も所有はしているが、もう何年も押し入れの奥にしまったままだ。
 いやあ、懐かしかった。

 もちろんIT系の書籍なので書かれていることは古く、現在において役に立つ部分は少ない。が、譲渡した側の先輩にも訊いたのだが、仕事において大いに勉強になったとの由。うれしいものだ。

 そしてひさびさに自身最高の著書を手にして思ったのは、その重さと厚み。上記のように予定よりもオーバーした内容のためにびっしりと詰め込まれた文字たち(もちろん編集者の才覚で読みやすくなっているが)。

 あれから10年——いろいろあった。本当に、いろいろ。
 確実に体力も落ちているし10年も経ってまだ夢がカタチになっていないという焦りもまた降り積もっていくばかりだが、
「俺、これを綴ったんだなあ……」
 と。
 あの状況下で、あの期間で。

 正直、武者震いがした。

 ちなみに本ブログにも綴った先月2月4日立春に結婚した親友は、俺が新たな夢に向かって歩を進めて某官公庁の警備隊に勤めていたときに知り合ったわけだが、そのきっかけは彼が、上で綴ったところの某書店で第二位を飾った著書の購読者だったということが出会いのそもそも。
 当時は部署が違うこともあり二三回程度しか顔を合わさなかったがその後mixiで再開し果ては先エントリのようにこの俺が人前結婚式の立会人を務めることになるのだから、ニンゲン何がどうなるかわかったものではない。
 そしてそれはきっと、一所懸命の結果なんだろうなと。

 その彼の結婚式といいきょうのことといい、因縁めくが今年は“そういう年”なのかもしれない。

 この10年の事どもに後悔も多々あるが、だがいっぽうで学ぶことも少なくない。
 正直なところあのまま踏ん張ってMac/Apple系のライターでいればいまごろはウハウハで真鶴に別荘のひとつも建っていたかと思わなくもないが(笑)、まあこの10年がゆえに気づいたこと、深みを知ることができたことのほうがたぶん大事だろう。
 そしてそちらのほうが、俺の本来的「夢」に近しい。

 ついこないだもひさびさの腸閉塞で寝込んだとか過去からの負の応酬や肉体的/精神的な老いを感じることもまた少なくない現実があるが、しかし芸術は長い。

 この先の俺がまたどうなるかわからないし、とどのつまり世間に対して何もできないままに朽ちていくかもしれないとは思う。
 が、とまれ、こうして過去から叱咤激励されまだまだ燃えることができるのはありがたいなあと思った次第だ。
 ー己六才より物の形状《かたち》を写《うつす》の癖《へき》ありて、半百の此《ころ》より数々《しばしば》画図《ぐゎず》を顕《あらは》すといえども、七十年前画《えが》く所は実に取るに足《たる》ものなし。
 七十三才にして稍《やや》禽獣虫魚《ちやうじうちうぎよ》の骨格草木の出生を悟し得たり。
故に八十六才にしては益々進み、九十才にして猶其奥意《なおそのおうい》を極め、一百歳にして正に神妙ならん歟《か》。
 百有《いう》十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん。
 願くば長寿の君子予言《よこと》の妄《まう》ならざるを見たまうべし。

 四十五十は洟垂れ小僧。
 画狂人葛飾北斎卍翁ではないが、“ほんたう”を見られ表現できるのはまだまだこれからかということを信じ、あらためて背筋を伸ばした。

 そんな、過去からの叱咤激励というか挑戦状を受け取ったきょうだったよ。(あ、すでにきのうかw)

 頑張る。

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