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武蔵野独り暮らし、日々雑感。
というわけで先日放送され「ラジ録2(Mac版)」で録音した『愛されて50年♪ みんなのうたリクエスト大全集!—1960年〜1970年代特集—』を聴いているなう。 いやー、たまりませんなこりゃ(T^T) 当時の音源による色んな曲も流れているのだがこの回はボニージャックスがゲストで、『ピクニック(♪丘を越え行こうよ 口笛吹きつつ……ね)』とか『気のいいアヒル』とか『一週間』を生で唄ってくださっている。 で、ことに全俺が泣いたのは『さびしいカシの木』。いやー、あまり知られていないだろうこの曲を唄ってくださるとは! 少年期の俺の胸の奥に、どれだけこの曲が刺さったか。ボニーもいいかげん凄く長いキャリアだが、いつまでも元気で唄い続けてほしい。 ところでこの1960年〜1970年代(ことに前半)の『みんなのうた』の特徴として、このボニーやダークダックス、デュークエイセスといった四人組の男性コーラスや、○○児童/少年少女合唱団ものが多いということがある。 こっ、れっ、がっ、いい〜ぃんだよねえ…… あちこちで綴ったりつぶやいたりしてるが、俺は同じ『みんなのうた』でも「1970年代前半まで原理主義」的なトコがあって(笑)——まあやっぱ世代(おっさん)なんだろうなとも思う一面——変な商業主義や媚びが無い感じでとても好きなんだよね。 もちろん当時の歌謡曲歌手やアイドル(中尾ミエさまの『ママごめんなさい』や坂本九ちゃ〜んの『えんぴつが一本』など)が唄っている楽曲もあってそれはそれで素敵で大好きなのだけれども、そういった曲と男声コーラスや児童合唱団が唄う曲がい〜い感じで混在していて、それが当時の『みんなのうた』の純度だったんじゃないかなあと思ってる次第。 ま、多様性ってやつですかね。 俺はハタチ前後からクラシック音楽を聴くようになり、またいまや色んな分野の曲を楽しむようになっているのだが、その原点は先のエントリで綴った“テレビまんが”の主題歌などの曲たちや『みんなのうた』がさまざまな曲を提供してくれたからだと思う。 本当に、感謝しているのだ。 ……って、放送中に聴取者からリクエストがあったもののタイトルも判明していない謎の曲でどの曲かスタッフをしてもわからなかったって語られている「隣りに越してきたお兄ちゃんへのほのかな憧れを歌った曲」ってのは、ピンキーとキラーズの『あそぼうよ』だバカモン!! (大名曲である) 本放送から数日経ったが、まだ調査中かな? 【追記】 皆さん好きだなあ。『さびしいカシの木』がしっかりYouTubeにあったよ。 ちなみにいうとこの曲は大阪万博やオイルショックなどのあとの曲。世相を反映してるといえばたやすいが、別の側面から見るとそれまでのこの国全体を覆っていた高度成長期等々のイケイケドンドンの心持ちから、“一本の木”へ思いを馳せることが出来るようになった精神的回帰も根底にあると思うんだ俺は。 PR
変なハナシだが、ガキの時分から「女の子的なもの」へのシンパシイが強い。
それはたぶん“俺の中でのイメージとしての女の子”なんだろうが、いわゆるロリコンとはまた違い、女の子、そしてご婦人がたがたぶん永遠に持ち続けているであろう或る種の憧憬に対してへ、だろうと思う。 たとえば前にもつぶやいたが昨年の紅白で椎名林檎が『カーネーション〜女の子は誰でもバージョン』を唄った際に、その後半の——林檎率いる——東京事変『女の子は誰でも』に一瞬にしてヤられたなんてのも、そんな俺が心の奥底に抱えているものの現れだと思っている。 繰り返しになるがこの楽曲とPVが凄いのは、『奥様は魔女』や『かわいい魔女ジニー』などのアメリカンな往年の魔女ものドラマと(ついでにいえばMGMミュージカルのテイストも)を見事に再現しているところ。また、逆にいえばそうしたものの“魅力を知る土壌”となったNET——現:テレビ朝日・関東圏では「10チャン」——の「魔女っ子もの」つまり『魔法使いサリー』から『魔女っ子メグちゃん』あたりまでで育った俺の心象と、そしていうまでもなく同世代の女の子たちに寄せる思いみたいなもんだと思う。 俺、魔女っ子が大好きだったんだよね。 ちょっと歴史的なハナシになるが上記のドラマやテレビまんが(アニメ)が放送されていた当時の1960〜1970年代ってのはまだまだご婦人の社会的地位が過渡期であって、だからこそ社会的呪縛を超えるものが「夢」そして「憧れ」として描かれていたに思う。 たとえば『ひみつのアッコちゃん』なんてのはたかが“誰かに変身できる”という魔女っ子ものとしては最も“ショボい”能力ながら、場合によっては“男性にも変身できる”というところが強く魅力的だったんじゃないかといまさら気づく。『ふしぎなメルモ』もそうだろう。 それはもう、たぶん「女性解放」の歴史なんだろうなと。 小難しいことを語るつもりはないが、まあたぶんそうだろう。先の『奥様は魔女』等、アメリカで先に描かれていたのも含め。 (後年、いわゆる「戦隊もの」が支持されたのも、そんな理由らしい。仮面ライダー以降、女の子たちもライダーキックよろしく暴れたかったとの由。なるほどなあと。モモレンジャーは大発明なわけだ) さてところでそうしてご婦人がたが社会的地位とか発言権とかそうしたものをつけていく歴史の流れにおいて、だから男と“同一”であればいいのかといえば、俺はやっぱそれはちょっと違うと思うわけだ。 もちろん近代社会システムの中において男女は同権であるべきだし、平等な機会は与えられるべき。いうまでもない。 が、月々のかつて「おんな病」といわれた月経含めご婦人と野郎が生理的に同一になるわけでもなし、そこはまあ互いを尊重し思いやるという心持ちの問題だろうと、俺なんか思うわけだ。 (ま、世の中何でも男女間だけでなく、自分とは違う立場にいる人々への想像力だろうと俺は思ってるんだけどね) ハナシを元に戻すが、俺は「女の子の感性」が好きだ。 このエントリを記そうと思ったきっかけが戦前の雑誌『少女の友』へ取材番組を観たことだった。 で、いわゆる後期高齢者の当時同雑誌のご婦人がたの意見もさりながら、現代の若きご婦人たちへも『少女の友』が強い訴求力を持っているというハナシ。 純度が高くて、泣けたなけた。 俺は『弥生/竹久夢二美術館』にもしげく通ってるんで或る程度は近現代のご婦人がたや少年たちの憧れをわかってたつもりだったが、やっぱり「楔《くさび》だらけの時代の中でいかに自分の思いを表出するか」なんてのは泣ける。まあその辺りは体感しないとね。 そして俺はそれを単なる、いわゆる「レトロ趣味」に落としたくないんだよな。 時代変われど揺るがせがたい「女の子指向」、ビュアな「夢」と「憧れ」。それはそれで大事なんだが野郎=男=チンコ的なもんがけっして超えられない、美しい、或るベクトル。 まあ俺は騎士道主義つうか、ご婦人を包むのが男の仕事だと思ってるんだけどね。 いやしかしこのエントリを綴りながら聴いてるアルバム『魔女っ子大作戦』の素晴らしいこと!! 俺は基本的に「ラナ〜ぁ!」「クラリス〜ぅ!」「シータ〜ぁ!」でありたい男だけど、その原動力もまた女の子への憧憬だろうな。 トム・ソーヤーでありたいね。 ……つか、この辺りの命題については今回のエントリでも俺ん中で消化不良なんで、継続的に考察して綴らないとな。(或いは小説で描く)
先日、煮物を作ってもらう機会を得た。
写真を撮り忘れたが凄く美味しくいただいて、ああやっぱり男寡ではなかなか作り得ない料理はいいなあと、ほっこりした次第。 で、その煮汁が残っていて、さてどのように“仕舞う”かと考えたのだが、よし、炊き込みご飯がいいかなと。 というのも先週の『キッチンが走る!▽諏訪湖編』で紹介されたワカサギの炊き込みご飯が無っ茶苦茶旨そうだったから。 というわけで今宵の帰路で最寄りのスーパーに寄ったのだが、残念ながらワカサギは無し。 (関東でワカサギといえば上州の榛名湖が有名だが、放射性の影響を検査するだけの漁獲量が確保できないという異変が起きており、出荷が出来ないらしい。まったく、原発の野郎、余計なことしやがってだ) さてその代わりというわけでもないがボイルのホタルイカのパックが半値に落ちており、よし物は試しだと、これを使ってみることにした。 残り汁の分量に相当するだけの米を研ぎ、薄切りの大根と共に煮物を作った鍋にそのまま放り込んで、強火で炊く。 シュウシュウコトコトと煮立ったところでホタルイカを加え、掻き回さず、蓋に重石を乗せて最弱火で10分。 時間になったところで10秒だけ強火にして、上に三つ葉を散らし、さらに蒸らし10分。 出来ました。(糸子風味) ![]() いやー、マジで旨かったこれ。 ![]() まだたっぷり残っているので、あしたの弁当にする予定。 俺のやりくりが下手っぴいなせいもあり野郎の一人暮らしはどうしても食材や残り物を駄目にしてしまうことが少なくないが、今回は上手に仕舞えてよかった。 感謝の食である。 今度はまたぜひに、ワカサギで作りたいものだ。
さっき知ったのだが、ジェラール・ドパルデュー主演の『シラノ・ド・ベルジュラック』(1990)が、ついにDVD化されるらしい!!
苦節22年。いやー、長かった(T^T) シラノといえばルパン三世(旧作&カリ城のみ)とラ・マンチャの男セルバンテス/ドン・キホーテと並ぶ、「俺の人生三大ヒーロー」のひとり。 本作はシラノの映像化の中でもおそらく最高傑作で、ドパルデューが最高にハマり役。作者のエドモン・ロスタンが観ても大満足するだろうと思われる。レーザーディスクは持っているのだが長くDVD化されておらず、某mixiで俺が作った「とっととDVD出しなさい」というコミュニティでも、ずっとアイコンとして使われていた。 それにしても思いを同じくする人は少なくないようで、まだ発売前ながらすでにAmazonでも3件レビューが記されている。ことに「Bo-he-mian」というかたのレビューが凄く熱い。俺が下手な言葉を並べるよりも、このかたのレビューを読んでいただければと思う(笑) DVDは当然すでに予約したが、iTunes Storeで発売されたらそちらも買っちゃおう。 嗚呼、楽しみ也。
こ、これは凄いな……
次女・直子の覚醒と神戸の家含む千代お母ちゃん(おばあちゃん)の魅力再確認全開の木、金曜回だったわけだが、この土曜に来て長女・優子をこういう風に描くとは、まったく予想だにしなかった。 優子はこれまでいわば“嫌な子”、昨今の言いかたをすれば“痛いヤツ”として描かれて来た。優等生でそつなくありたいがための、結果としてのいわゆる「自己中」。そしてきょうも自己中全開でとどのつまり事無きを得たが妊婦のお客様を危険に晒してしまったわけだけれども、その前後含め「優子は駄目な子」という一方的なレッテルで終わらないところが素晴しい。 カーネーション節、炸裂。 ちゃあんと優子に仕事をまかせる母親/師匠スタンスの糸子とか事件後の昌ちゃんや恵さんのフォローとか、しかし良かったねで終わらせないところとか……いやまったくこういう作品はそうそう無いのではないだろうか。 (サックドレスや東京弁のハナシ含め、ちゃあんと吸収してるのもいい) 俺は、俺自身がおっちょこちょいな人生を送ってきたこともあるのだが、ことに最近、一方通行的なそして単視点からの価値観とか行動とかで物事を評価しちゃあかんなあと思いはじめている。ここに来て(笑) それが言い訳になってはいけないのだけれど、「人、生きる。」においては現実と理想とかの間の中で、色々とのたうちまわるものだ。何が是で何が非なのかなんて、本っ当にわからない。 モデルとなった実話はどうあれ、『カーネーション』は理想と現実との闘い——そして最終的に理想が勝つを描いているところが本当に素晴しいと思う。細心の丁寧さをもって。 八方美人でそつの無い、しかし自身の美意識に妥協のない優子のスタンスは、俺は痛いほどにわかる。人気者はつらいんだよ(笑)。つか、そういうもんをたかが15分の中できっちり描ききる渡辺あや脚本ってホントマジ凄い。 優子、頑張れ!! (直子も聡子も、そして糸子も) |
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