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武蔵野独り暮らし、日々雑感。
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 以下は2006年08月04日に、夏休みスペシャルとしてmixi日記に連載として綴ったものです。
 最近Twitterで知りあい懇意とさせていただいているかたより「ぜひ読みたい」とのリクエストをいただいたため、ここに再掲するものです。全67回の2回目です。
 原文ママのため、誤字脱字もそのままとします。
(第一巻「輝ける10年間」はこちら→



 前回、昭和40年代当時の武里団地のロケーションによって、ぼくの中に「都市性」と「自然」の両者がインプリンティングされたことが大きいということを記した。が、たとえばいまこの現代、同様に田舎にいきなり巨大な団地ができたとしても、ぼくがこの日記で語る「輝ける時代」と呼べるものになるかどうかについては、はなはだ疑問だ。なぜならば、現代はあまりに「個」が成立しやすいからだ。

 いうまでもなく団地というのはそれまでのこの国の一般住宅とは違い、玄関扉ひとつ閉じてしまえば、完全に外と隔絶される形態の住居である。が、少なくとも昭和40年代の武里団地、就中少年だったぼくの周囲は、外界に大きく開けていた。それは多分に、人々がまだ「プライバシー」というものに慣れていなかった時代であり、また互いに助け合っていかなければ生きていけなかった時代であったからであろう。なにせ映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の舞台からまだ10年程度しか経っていない頃だったといえばわかりやすいだろうが、ぼくの場合はさらに、いくつかの特殊な事情があった。

 ものの順序として記さなければならないが、団地に引っ越してすぐに、親爺(父)が家から姿を消した。昨今のぼくと親爺の愉快な関係については日記でも何回か取り上げておりいまは仲良くやっていることをご存知のかたも多いだろうが、まあ要するにおふくろ(母)とぼくとの生活を放棄して、家を飛び出したというわけである。で、その詳細はともかくとして、おふくろは女手ひとつで、ぼくを育てなければならなくなった。幸いにして小学校の図工の教師という職があったので食うに事欠くことはなかったのだが、問題は「4歳のぼく」である。

 当時、団地はおろか春日部市全体をしても、公立の保育所がひとつもなかった。前回記したように生活に必要なたいがいのものはすでに用意されていた団地だったが、そこに住まう少なからぬ共働き家庭のためのものがなかったということになる。保育所の設立は急務となった。分けてもおふくろにとっては死活問題で、設立運動の中心となったらしい。「らしい」というのは当時のぼくはそんなことは露知らず、毎夜のようにぼくンチにおとなたちが集まっては会議をしている隣の部屋で、そこに連れて来られた同じくチビたちと、押し入れを秘密基地にしたりして、遊びに興じていたからだ。やがて運動が実を結んで保育所ができたが、その次は就学するぼくたちの放課後の受皿たる学童保育所の設立と、おとなたちの会議は止むことはなかった。時には別の家で開かれることもあったが、母子二人のぼくンチがおとなたちにとっても都合がよく、またやたらとオモチャを持っている「いさくちゃんチ」が、チビたちにとっても大歓迎だったようだ。

 そんな風に、ぼくはいわゆる母子家庭に育ちながらも常によそンチと一緒にあったがために、親爺がいないことをまるで(本当にまるで)意識せずに育った。いまから思うと背後にあったおふくろの尽力に対しての感謝というのもあったのだろうが、どこのウチに遊びに行っても「いさくちゃん」は歓迎され、可愛がられた。日曜日、幼なじみのMの家に遊びに行くと、ぼくは玄関扉をノックもなしに開け、「こんにちはー」というなり冷蔵庫を勝手に開けてコカ・コーラのホームサイズを出して飲むという、いまいたらぶん殴ってやりたいイヤなガキだったが、「Mのおばちゃん」が後年語ったところによると、ほかにあまり友だちのいないMのところに足しげく来てくれ、Mが面倒を見ない弟とよく遊んでくれるぼくに感謝して、毎日曜日コーラを用意してくれていたのだそうだ。

 話がかなり微に入りすぎたようだが、ともかくぼくは開かれた環境で、街からのたっぷりの愛情を受けて育った。語ったことのいくつかはいま現在のぼくの弱点に直結しているものでもあるが、それもあえて挙げた。ともかくも「今長屋」とも揶揄された団地が、巷間思われているような「閉じた」ものではなく、本当にいまや落語の中などでしか見られないような人情に溢れた時代があったことは確かであった。そしてその頃に少年だったことを、ぼくは本当にうれしく思っている。

 ……ということで、次回は商店街や駄菓子屋などについて記す予定。



 第3巻「団地商店街」は、来週掲載予定です。

【追記】アップしました。(こちら→)

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 以下は2006年08月02日に、夏休みスペシャルとしてmixi日記に連載として綴ったものです。
 最近Twitterで知りあい懇意とさせていただいているかたより「ぜひ読みたい」とのリクエストをいただいたため、ここに再掲するものです。全6回です。
 原文ママのため、誤字脱字もそのままとします。



 東京の品川で生まれた。

 両親が南大井にある児童会館の住み込み管理人をしていて、これはこれで面白い話があるのだが、きょうの日記はそのあと、ぼくが4歳のときに公団の抽選に当たって引っ越したという、埼玉県春日部市にある「武里団地(たけさとだんち)」のことを記したいと思う。実は過ぐる7月8日にここを久方ぶりに訪って、「フォトアルバム」に写真だけはアップしていたのだが、やっと日記を書く余裕ができたというわけだ。折りも折りちょうど8月だし、14歳までのまさに少年時代を過ごした場所のことを記すには、まあいいタイミングだろうと思う。

「団地」というと、大友克洋のマンガ『童夢』などにも見られるように、一種独特の世界を思い浮かべるかたも多いかと思う。「団地妻」などという言葉もある(笑)。かくいうぼくもある時代以降の一般的な団地には――住んでいる人には申し訳ないが――あまりいいイメージはない。それがどんなものかを語るのはこの日記の趣旨ではないので割愛するが、しかし少なくともぼくの中での「武里団地時代」の10年間は、表題のように「輝ける時代」であった。多分に想い出の美化という要素や、ぼくが気づいていなかっただけということもあるにしても、だ。

 経緯をきちんと調べたわけではないのだが、武里団地は、広大な田畑あるいは薮だらけの中に、急にぽっかりと出来た近代都市であった。団地が出来てより数年後に開業した東武伊勢崎線の準急が停まる「せんげん台」の駅は団地から200mほどのところにあるのだが、長いことこの団地と駅との間には、恐ろしいほどに何もなかった。遠く岩槻の台地に沈む夕日が地平線までまともに見え、冬ともなると上州から渡ってくる「赤城おろし」が、まともに襲いかかるようなところだったことをはっきりと憶えている。

 そしてこの「近代都市」と「田園風景」という組み合わせが、ぼくが当時をして輝ける時代と呼ぶ、第一の、そして最大の要素だ。

 完成当時、武里団地は「東洋一の大きさ」であった。団地内には商店街があり、学校があり、各地に集会所があった。もちろん各戸に風呂があり、トイレは水洗。住民の中心はいわゆるホワイトカラーが大多数で、マイカーの所有率も高く、会話も「標準語」で行われていた。そういう意味では、1966(昭和四十一)年当時の東京以上の「都市性」が、そこにはあった。本当の意味での「都市」というのはもっと違うものだが、少なくとも、当時イメージされた「未来都市」ではあったといえる。だからぼくらは、団地の中にいる限りは、間違いなく「都会っ子」であった。

 その一方で、前述のように団地から一歩出ると、広大ともいえる自然があった。小学校に上がる頃にはなくなってしまったが、引っ越し当時には「これぞあの『はるのおがわ』の小川」といえる眩いばかりに美しい用水路があったし、小学校の中学年頃にはイタチを発見して友人と「イタチ捕獲大作戦1日キャンプ」を薮木で基地を作って行ったほどだ。カブト虫やクワガタ虫なども――ポイントを押さえる必要はあったが――捕り放題だったし、1年のうち必ず一人は肥溜めに落ちるヤツもいた(笑)。「巨大食用ガエルの池」もあったし、もちろん「底なし沼」もあって、ターザンよろしくその上を蔓につかまって飛び越えたりもした。樹齢何十年の杉の木の上で口笛を吹くのが好きだったし(これはぼくだけの秘密)、放棄された養蚕小屋を秘密基地にしたりもした。あまり知られていないが実はぼくはかなりの自然児なのだけれども、この基礎はこの時代に作られたものだ。

 団地の中での遊びに、目を転じてみよう。これもまた巨大団地の恩恵で各所に大きな公園があり、さらにそれら一つひとつが、非常に特徴的な形態をしていたののも大きい。公園の形によって遊びの種類や遊びかたも変わるのだが、そこは作ったおとなたちが想定していた遊びかたなどはほとんどせず、たとえば「この公園だったら、こんな感じでカンケリをする」といったような、想像力が働いた。また、大きな公園の近くには前述の「集会所」があったのだが、集会所がある建物だけは他のぼくらが住んでいるような縦方向に戸が並んでいるものではなく現在のマンションのように横方向に戸が並んでいるものだったため、縦横無尽に動くことができた。ケイドロ(刑事と泥棒)などにはもってこいだったというわけだ。

 ……というわけで思わず長くなってしまったので、いったんアップすることにする。この続きはまた後日としよう。




 第2回「カギっ子を包むものたち」は、来週掲載予定です。

【追記】アップしました。こちら→

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