武蔵野独り暮らし、日々雑感。
[1] [2] × [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ※このエントリは以下も併せてお読みいただくと、よりいっそうお楽しみいただけます。 ◎全員集合トラップ作戦 〜吹替版『夕陽のガンマン』に大発狂(笑) ◎ワンス・アポン・ア・タイム・イッ・チャイナ 〜「洋画ノスタルジア」プレイリスト ◎ノスタルダメンズの大予言 〜 『追憶』 中一時代——百恵ちゃんが宣伝していた雑誌ではない。いや、その世代なのだが——の最初の音楽の授業が、楽曲『エーデルワイス』だった。 で、そのときの音楽の先生はのちに担任となって折り合いが悪かったのだが(笑)、その授業はとても素晴しく、先生が語る『サウンド・オブ・ミュージック』の虜となり、まだ観ぬその映画へ思いを馳せたものだ。 それが俺の、「洋画」に目覚めた瞬間。 で、以前にもtwitterのつぶやき等々で文字にしたかと思うが、当時はビデオも現在のようなレンタルシステムなども無くて、洋画への憧憬はいきおい『ロードショー』や『スクリーン』といった雑誌と、そして「映画音楽集」といったLPに向いたものだ。 そしてまたこれも繰り返しになるが当時は現在のようにオリジナル・サウンド・トラック(O.S.T.)がレコード会社やレーベルを超えてオムニバスでまとめられたアルバムになるような時代ではなく、たとえば当時の俺が小遣いをはたいて購入したCBSソニー(懐!)の『ミュージカル映画大全集』というアルバムでも、O.S.T.すなわち映画そのものの音源が使われているのは『ウエスト・サイド物語』とか『マイ・フェア・レディ』ぐらいで、他はいわゆるイージーリスニング/ムード音楽の楽団が演奏したものが収録されていた。 ただそれが必ずしも“負”かというとそうではなく、おかげでパーシー・フェイスとかカラベリといった楽団を知るきっかけとなり、いっぱしの「イージーリスニングおたく(笑)」となったいまに至っているのだから、“満たされる”ことばかりがしあわせではないのだろうなと思う。“届かぬあくがれ”が、ヒトの原動力になることはあるものだ。 ま、それはともかくとして、ここに来てまた映画音楽——ことにO.S.T.より以上に、イージーリスニング/ムード音楽の楽団が演奏したものへの熱が昂《たか》ぶっていて困った次第だ。 逆説的だがO.S.T.ではなく楽団系で演奏される映画音楽というのは、それは、 「曲として美しい」 として認められた曲だろう。すべてではないものの、つまりは“スタンダード”への殿堂入り。 『スマイル』『虹の彼方へ』『タラのテーマ』『いつか王子様が』『時の過ぎゆくまま』『第三の男』『雨に唄えば』『河は呼んでる』『白銀は招くよ』『夏の日の恋』『慕情』『ムーン・リバー』『ララのテーマ』『シャル・ウィ・ダンス』『君住む街角』『ドレミの歌』『いそしぎ』『シャレード』『クワイ河マーチ』『星に願いを』『モア』『ボーン・フリー』『雨にぬれても』『メロディ・フェア』『追憶』『ジ・エンターテナー』『メモリー』『アマポーラ』……ってキリが無いがこの辺りは、誰しもが曲名も知らずまた“その映画そのもの”を観たことはなくとも、 「ああっ! この曲好き!!」 ってのがあるはずだ。商店街で聞いたとか(笑)←いや、それ凄く大事 ことほど然様《さよう》に、ホンモノの「映画音楽」ってのは素晴しい。 さっきもまた、iTunes Storeでムーヴィーランド・オーケストラの『オーケストラによる映画音楽大全集−フランス映画・テーマ曲−』を購入しちまった。ムーヴィーランド・オーケストラなんてWikipediaにも項目が無いほどなのだが、この安っちい感じがまたいいんだよね♪ 俺は生涯、「映画音楽」を愛し続けるんだろうなあ。 そしてそれはたぶん、俺の浪漫ってやつなんだろう。 PR 前のエントリの追記で『サモア島の歌』のYouTube動画を発見して、何度も聴いてるわけだ。 いやもう、ポロポロ涙しながら。 まあね、別段この曲はいわゆる泣く曲ではない。表層的にはのんびりした“南洋”の曲だ。 が、やっぱり泣ける。 ただの懐かしさだけでなく。 で、どうして泣けるんだろうと考えたんだが、やっぱ先のエントリの追記のキャプションにもちょっと綴ったが、 「船出を祝い 無事を祈る」 なんだろうな。 ここだなと。 同曲の日本語歌詞は基本的にずっとのんびりした南洋の島の雰囲気を歌っている。 「青い青い空だよ 雲の無い空だよ サモアの島常夏だよ」から始まり、「風が吹く 静かな海 鳥が飛ぶ飛ぶ波間をゆく」 ここまではいい。 が、ラストのワンフレーズで「無事を祈る」と来る。「船出を祝い」ながら。 このことはその生活——たぶん漁だろう——が、“命がけ”ってことを表していることだと思う。この曲全体にある一種の寂寥感ってのは、このラストのワンフレーズのためにあるのではないかとさえ思う。 漁師の言葉に「(船)板一枚下は地獄」というのがあると聞く。 逆に大漁の際の“うまみ”もあるだろうからその辺りはいわゆる自己責任ってなもんだろうが、やっぱ「命を懸ける仕事」ってのはぐっとくるものがある。 ましてかのビキニ含めフランス領タヒチの漁師たちの忸怩たる思い云々を想像する時に、それとはまた別かもしれないがこの『サモア島の歌』は、やっぱひしひしと心に迫るものがある。 蛇足ながら俺はガキの頃から“島の子”で“海の子”で海の美しさも空の美しさも知ったと同時にその恐ろしさも知っているからこそ、この曲にふるふるするのかもしんない。 船出を祝い、無事を祈る。 いわゆる南洋系の歌にはなべてそれが感じられるのだけれども、『サモア島の歌』にも、一種の哀しみとか諦めとか、だからこその太陽と海とに託す明るさみたいなものが感じられる。 それはきっと、沖縄とか伊豆諸島、小笠原についてもそうだろう。 政治/経済/外交については「島の問題」は色々とややこしいモンがあるだろうなと思うけれども、少なくとも“その心象”に思いを馳せるってだけでも門外漢としては悪くないことじゃないかなあと、俺なんか思う次第。要は、きっかけ。 そういう意味でもね、俺は『みんなのうた』含む音楽たちに、無限の感謝を捧げる次第。芸術は勝つ。 ……というわけで一刻も早く南洋の浜辺での〜んびりマイクロビキニのおねいさんたちを眺めて暮らす日々を送りたいものだね(笑) 前エントリに引き続き、NHK『みんなのうた』のハナシ。 『愛されて50年♪ みんなのうたリクエスト大全集!—1960年〜1970年代特集—』の第二部を聴いているのだが、かの栗コーダーカルテットが『サモア島の歌』と『北風小僧の寒太郎』を演奏していてとてもいい。 『サモア島の歌』——♪青い青い空だよ 雲の無い空だよ サモアの島常夏だよ——は俺はみんなのうたリアルではないのだが、小学校の教室でカーテン付きのテレビ(笑)で観ていたNHK教育の小学中学年向けの音楽番組だかのエンディングで必ずかかっていて、い〜い曲だなあと思ったものだ。 ところでこうして気づいてみれば、1960年〜1970年代の『みんなのうた』には、「南洋」を歌った曲が多い。 いまゲストとして話している水森亜土ちゃまの『南の島のハメハメハ大王』とか、『イサレイ(フィジー別れの歌)』とか、あるいは『さらばジャマイカ』とか。 というわけでお陰様にて俺はここ20年ほど前からウクレレとかラテン音楽とかが大好きな人間に育ったのだけど、面白いなあと。 で、俺もいまあえて「南洋」という言葉を使っているのだが、この単語というのは明治から太平洋戦争前中後の言葉なんだろうなあと思う。何かこう、一種の——ゴーギャン/タヒチにも似た——「南洋」という単語に一括りにされる“謎な憧憬”。モスラーや、モスラ(笑) このことは当時の『みんなのうた』がまだ戦前中後も「南洋」を引きずっていたという解釈も一方であるものの、また他方で、くどいようだが欧米に追いつけ追い越せでゴリゴリとやってきた高度成長期を経て、いわゆる“癒し”を求めはじめたことの表出なのかもしんないなあと思う。 『さらばジャマイカ』がみんなのうたで取り上げられたのは1970年代も半ばのことだが、その頃はもうニッポン人、疲れはじめてたんだよねきっと。 「科学かぁがくか、馬鹿馬鹿しい。つまるところキチガイじみた物量作戦に過ぎない」 というのは1972年(昭和四十七年でござる)に放送された『ルパン三世』の1stシリーズの大傑作「どっちが勝つか三代目」の中でのルパンの台詞だが、この頃にみんなのうたでも南洋の曲が歌われ、このあとしばらくして国鉄(現:JR)が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを始めたこととかは、けっして蔑ろにできないと思うんだ俺は。 何かこう、現在《いま》も学ぶべきことはあるまいか? 【追記】 あるもんだねえ。『サモア島の歌】 この「♪らら船出を祝い 無事を祈る」っていうフレーズは、いまだに俺の“言葉”に強い影響を及ぼしている。 で、ついでに『ゆかいに歩けば』も。 やっぱ児童合唱団はいい。 というわけで先日放送され「ラジ録2(Mac版)」で録音した『愛されて50年♪ みんなのうたリクエスト大全集!—1960年〜1970年代特集—』を聴いているなう。 いやー、たまりませんなこりゃ(T^T) 当時の音源による色んな曲も流れているのだがこの回はボニージャックスがゲストで、『ピクニック(♪丘を越え行こうよ 口笛吹きつつ……ね)』とか『気のいいアヒル』とか『一週間』を生で唄ってくださっている。 で、ことに全俺が泣いたのは『さびしいカシの木』。いやー、あまり知られていないだろうこの曲を唄ってくださるとは! 少年期の俺の胸の奥に、どれだけこの曲が刺さったか。ボニーもいいかげん凄く長いキャリアだが、いつまでも元気で唄い続けてほしい。 ところでこの1960年〜1970年代(ことに前半)の『みんなのうた』の特徴として、このボニーやダークダックス、デュークエイセスといった四人組の男性コーラスや、○○児童/少年少女合唱団ものが多いということがある。 こっ、れっ、がっ、いい〜ぃんだよねえ…… あちこちで綴ったりつぶやいたりしてるが、俺は同じ『みんなのうた』でも「1970年代前半まで原理主義」的なトコがあって(笑)——まあやっぱ世代(おっさん)なんだろうなとも思う一面——変な商業主義や媚びが無い感じでとても好きなんだよね。 もちろん当時の歌謡曲歌手やアイドル(中尾ミエさまの『ママごめんなさい』や坂本九ちゃ〜んの『えんぴつが一本』など)が唄っている楽曲もあってそれはそれで素敵で大好きなのだけれども、そういった曲と男声コーラスや児童合唱団が唄う曲がい〜い感じで混在していて、それが当時の『みんなのうた』の純度だったんじゃないかなあと思ってる次第。 ま、多様性ってやつですかね。 俺はハタチ前後からクラシック音楽を聴くようになり、またいまや色んな分野の曲を楽しむようになっているのだが、その原点は先のエントリで綴った“テレビまんが”の主題歌などの曲たちや『みんなのうた』がさまざまな曲を提供してくれたからだと思う。 本当に、感謝しているのだ。 ……って、放送中に聴取者からリクエストがあったもののタイトルも判明していない謎の曲でどの曲かスタッフをしてもわからなかったって語られている「隣りに越してきたお兄ちゃんへのほのかな憧れを歌った曲」ってのは、ピンキーとキラーズの『あそぼうよ』だバカモン!! (大名曲である) 本放送から数日経ったが、まだ調査中かな? 【追記】 皆さん好きだなあ。『さびしいカシの木』がしっかりYouTubeにあったよ。 ちなみにいうとこの曲は大阪万博やオイルショックなどのあとの曲。世相を反映してるといえばたやすいが、別の側面から見るとそれまでのこの国全体を覆っていた高度成長期等々のイケイケドンドンの心持ちから、“一本の木”へ思いを馳せることが出来るようになった精神的回帰も根底にあると思うんだ俺は。 椎名林檎、そして東京事変の凄さを知ったのは、恥ずかしながら昨年の紅白での演奏だった。 かの連続テレビ小説『カーネーション』にハマっててその関係もあって——糸子(尾野真千子さま)が出るってことで——椎名林檎の紅白出演シーンを固唾を呑んで見守ったのが最初。 事前の情報にあった『カーネーション 紅組は誰でもバージョン』って何だろう?……とさしたる考えもなくハナクソのひとつふたつほじりながら観たのだが、紅白『カーネーション』直後の—— 東京事変『女の子は誰でも』 ——に瞬殺され(笑)、十数分後にはiTunes Music Storeで曲とPVを買った俺ですよ。で、以来聴きまくり。 何でこんなことを唐突に綴ってるかといえばいま寝ようと思った直前にたまたまザッピングしたCS『スペースシャワーHD』なるチャンネルで「東京事変PV特集」なる番組をやってて『女の子は誰でも』もやってたりして録画してない俺死ねとか思ったから(笑) 再放送お願いします!! ところで紅白で表現された『女の子は誰でも』の世界観とその直後に購入したPVの何が俺の琴線に触れたかといえば、 ・『奥様は魔女』から始まる昭和「魔女っ子もの」へのオマージ ・MGMミュージカルへのオマージュ ・ビッグバンドジャズのサウンド ・兎にも角にも「女の子」っぽく可愛い ——って辺りですかねえ。 とまれ昨今オマージュとかリスペクトとってな単語が安っぽくなってる時代において、東京事変『女の子は誰でも』は、詞も曲も演奏もPV表現も、“なにこれわかってる感炸裂”だったから。 腰が砕けると思いました!(いまも同PVを観る度にそう) で、CSであらためて東京事変のPVを観たのだけれども、『女の子は誰でも』だけではなく、い〜いのが多いねえ。いちいち男が濡れる。 東京事変、解散しないでほしいなあ(><) |
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