武蔵野独り暮らし、日々雑感。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 いま確認してみたら、わがMacBookのiTunesには、36.65GBぶんの容量の曲が入っているらしい。 これが多いか少ないかは知らん。まあともかく俺は「これは入れとこ」と思ったら手元のCDもしくはレンタルCDからどんどんiTunesに読み込み、iPhoneに転送しては持ち歩いて聴いている。もちろん、iTS(ITunes Store)で曲単位で買うものもある。 で、肝心のiPhoneは全体でも16GBしか容量がないので、都度「プレイリスト」機能などでで管理しているものを入れるの入れないのしているわけだ。たとえば「テレビまんが」プレイリストとか「マーラー」プレイリストとか「真・燃えるリスト」プレイリストとか、そんな感じ。 さてところでiPhoneというモバイル(つまり外出中)ではなく目の前にそれらの全曲が入っているMacがあったとき、たまぁに、プレイリストやさらにはジャンルを問わず、 「入っている曲全部」 をシャッフルプレイしたくなることがある。 さっきがまさにそうだった。 で、それを実際にやってみると面白いことに、 「いま現在の俺の気分が求めている曲」 が、かかることが多い。 もちろん全部がぜんぶではないのだけれど、けっこう「ああっ、そうか!!」と思うことが多くて驚く。 これ、iTunesの最初のバージョンからそうだった。 こっちの気持ちにぴったりとか、あるいは「ああそうだよな、これ(こういう考え方とか)もあったよな!!」とか、そういう感じ。 不思議な気分になる。 冷静に考えればそもそもiTunesに入れるのは「俺が好きな曲」なのだから、なんかそういったある種の理屈がありそうな選曲になるのはわかる。 が——これは受け手の感性とか酔い(笑)なのかもしんないが——けっこうツボにハマって感動することが多い。 こうした経験は、多くのかたにあると思う。 ここで俺は何もデジタルをオカルトで語るつもりはないが、iTunesって少なくとも温度とか湿度とかあるいは季節感とか、そんなことまでのセンサを持っているのではないかと思うことは少なくない。そんなはずはないのだが。 まあ理屈は知らんが、ともかくもこういうものを与えてくれるiTunesというのは心地よい。 分母がデカくなればなるほどこういう不思議と、また同時に「勇気を得る機会」は増幅されると思うので、ともかくもiTunesやiPodを楽しみましょうよって話だ。 つか、この文章を綴っている間にクラシックは一曲もかからず、この瞬間にケテルビーの『谷間を渡る風』とかかが再生される不思議。 その前の曲はサザンの『君だけに夢をもう一度』だった。 両者に通ずる、からりと乾いた、それでいてせつない風の流れ。 泣ける。 まあきっと、なんかあるのだろう。 PR |
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