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武蔵野独り暮らし、日々雑感。
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※※※
 以下は2006年08月02日に、夏休みスペシャルとしてmixi日記に連載として綴ったものです。
 最近Twitterで知りあい懇意とさせていただいているかたより「ぜひ読みたい」とのリクエストをいただいたため、ここに再掲するものです。全6回です。
 原文ママのため、誤字脱字もそのままとします。



 東京の品川で生まれた。

 両親が南大井にある児童会館の住み込み管理人をしていて、これはこれで面白い話があるのだが、きょうの日記はそのあと、ぼくが4歳のときに公団の抽選に当たって引っ越したという、埼玉県春日部市にある「武里団地(たけさとだんち)」のことを記したいと思う。実は過ぐる7月8日にここを久方ぶりに訪って、「フォトアルバム」に写真だけはアップしていたのだが、やっと日記を書く余裕ができたというわけだ。折りも折りちょうど8月だし、14歳までのまさに少年時代を過ごした場所のことを記すには、まあいいタイミングだろうと思う。

「団地」というと、大友克洋のマンガ『童夢』などにも見られるように、一種独特の世界を思い浮かべるかたも多いかと思う。「団地妻」などという言葉もある(笑)。かくいうぼくもある時代以降の一般的な団地には――住んでいる人には申し訳ないが――あまりいいイメージはない。それがどんなものかを語るのはこの日記の趣旨ではないので割愛するが、しかし少なくともぼくの中での「武里団地時代」の10年間は、表題のように「輝ける時代」であった。多分に想い出の美化という要素や、ぼくが気づいていなかっただけということもあるにしても、だ。

 経緯をきちんと調べたわけではないのだが、武里団地は、広大な田畑あるいは薮だらけの中に、急にぽっかりと出来た近代都市であった。団地が出来てより数年後に開業した東武伊勢崎線の準急が停まる「せんげん台」の駅は団地から200mほどのところにあるのだが、長いことこの団地と駅との間には、恐ろしいほどに何もなかった。遠く岩槻の台地に沈む夕日が地平線までまともに見え、冬ともなると上州から渡ってくる「赤城おろし」が、まともに襲いかかるようなところだったことをはっきりと憶えている。

 そしてこの「近代都市」と「田園風景」という組み合わせが、ぼくが当時をして輝ける時代と呼ぶ、第一の、そして最大の要素だ。

 完成当時、武里団地は「東洋一の大きさ」であった。団地内には商店街があり、学校があり、各地に集会所があった。もちろん各戸に風呂があり、トイレは水洗。住民の中心はいわゆるホワイトカラーが大多数で、マイカーの所有率も高く、会話も「標準語」で行われていた。そういう意味では、1966(昭和四十一)年当時の東京以上の「都市性」が、そこにはあった。本当の意味での「都市」というのはもっと違うものだが、少なくとも、当時イメージされた「未来都市」ではあったといえる。だからぼくらは、団地の中にいる限りは、間違いなく「都会っ子」であった。

 その一方で、前述のように団地から一歩出ると、広大ともいえる自然があった。小学校に上がる頃にはなくなってしまったが、引っ越し当時には「これぞあの『はるのおがわ』の小川」といえる眩いばかりに美しい用水路があったし、小学校の中学年頃にはイタチを発見して友人と「イタチ捕獲大作戦1日キャンプ」を薮木で基地を作って行ったほどだ。カブト虫やクワガタ虫なども――ポイントを押さえる必要はあったが――捕り放題だったし、1年のうち必ず一人は肥溜めに落ちるヤツもいた(笑)。「巨大食用ガエルの池」もあったし、もちろん「底なし沼」もあって、ターザンよろしくその上を蔓につかまって飛び越えたりもした。樹齢何十年の杉の木の上で口笛を吹くのが好きだったし(これはぼくだけの秘密)、放棄された養蚕小屋を秘密基地にしたりもした。あまり知られていないが実はぼくはかなりの自然児なのだけれども、この基礎はこの時代に作られたものだ。

 団地の中での遊びに、目を転じてみよう。これもまた巨大団地の恩恵で各所に大きな公園があり、さらにそれら一つひとつが、非常に特徴的な形態をしていたののも大きい。公園の形によって遊びの種類や遊びかたも変わるのだが、そこは作ったおとなたちが想定していた遊びかたなどはほとんどせず、たとえば「この公園だったら、こんな感じでカンケリをする」といったような、想像力が働いた。また、大きな公園の近くには前述の「集会所」があったのだが、集会所がある建物だけは他のぼくらが住んでいるような縦方向に戸が並んでいるものではなく現在のマンションのように横方向に戸が並んでいるものだったため、縦横無尽に動くことができた。ケイドロ(刑事と泥棒)などにはもってこいだったというわけだ。

 ……というわけで思わず長くなってしまったので、いったんアップすることにする。この続きはまた後日としよう。




 第2回「カギっ子を包むものたち」は、来週掲載予定です。

【追記】アップしました。こちら→

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 映画『シャーロック・ホームズ』が、滅法面白い。

 4月とは思えない寒さのきょう(つうかすでにきのう)、氷雨の中を2度目となる鑑賞に行ってきた。前回の字幕スーパー版で思い切りハマったので、ぜひ日本語吹替版でも観たいということで。

 この、洋画の日本語吹替版をわざわざ観に行くというのは、俺にしてみれば非常に珍しい。記憶が間違ってなければ初めてのことなのだが、なぜそういう衝動に駆られたかというと、この映画が“そういう種類”の作品だからだ。

 すでに多くのところで語られているが、ホームズの名を冠している映画ながら従来のホームズ像ではなく、むしろ『ルパン三世』に限りなく近い。しかも「旧作ルパン」。ことにホームズ(ロバート・ダウニー・Jr.)とワトソン(ジュード・ロウ)の関係たるや、大名作『脱獄のチャンスは一度』などに見られる初期のいわゆる「大隅ルパン」におけるルパンと次元そのものだ。
 俺がハマらないわけがない(笑)

 従来の「シャーロック・ホームズ」シリーズといえば、沈着冷静なホームズと、従属的でホームズの活躍ぶりに驚かされているばかりの傍観者としてのワトソンというのが、その描かれかたあるいはイメージだった(それがことに顕著なのは、宮崎駿が関わったアニメ『名探偵ホームズ』なのだが)。
 が、本作におけるワトソンは——原作『緋色の研究』でも描かれているところの——屈強な退役軍人である点が強調されており、格闘や武器の扱いについてはホームズに勝るとも劣らない人物として描かれている。そして頭脳明晰にして格闘技(バリツ!!)の達人ながら日常生活ではグダグダでダメダメなホームズに、(ほとんどホモセクシャルなまでに)頼られ甘ったれられる存在となっており、そんなホームズをして「しょうがねえなあ」とぼやきながらいざという時にはサポートせざるをえないワトソン。まさに、次元大介だ。

 また、「大いに参考にした」旨がプログラムにも記載されているのだが、ホームズとワトソンとの関係も含め、本作は映画『明日に向かって撃て!』を彷彿とさせる部分がとても多い。
 ホームズ、ワトソンそれぞれの表情(特に笑顔!)の見せかた、二人して拳銃を発砲する場面などの構図やタイミングなど、かの名作に夢中になった者としてはどうにも泣けるシーンがちりばめられている。
 ロバート・ダウニー・Jr.もジュード・ロウも本作の「続編」のために他の仕事を先延ばしあるいはキャンセルしたというが、さもありなん。まさにかつてポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが見せた……いや、魅せた“あの世界”なのだ。もう、めろめろである(笑)

 そしてそもそも俺はこうした「相棒《バディ》もの」が昔からどうにも好きなのだが、こうした作品は俺が育った時代の海外TVドラマに数多い。吹替ドラマの最高傑作『ダンディ2 華麗な冒険』とか、『0011ナポレオン・ソロ』とか。
 本作はそういう作品たちもまた、彷彿とさせる。

 つまりアニメとかTVの洋画劇場とか吹替海外ドラマとかで俺が夢中になった、俺を育んでくれた「相棒ものたち」に極めて近しいからこそ、映画『シャーロック・ホームズ』をどうしても吹替版で観たかった・聴きたかったというハナシ。

 とまれ字幕/吹替問わず、とても楽しめる作品であることは間違いないと太鼓判をおす。
 一部の“原理主義者”を除いてはシャーロキアンたちにも好評だと聞くし、未見のかたはぜひに!

 そして俺はといえば、あらためて続編が待ち遠しくて待ち遠しくて、発狂しそうなのである(笑)

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 おい諸君! きょうのGoogle特別ロゴがすごいぞ!!





 ちなみに現在、横浜の神奈川近代文学館で『大乱歩展』開催なうだ。

 これは行かねばなるまいよ明智くん、わはははははは!!!!!!

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 mixiに「仲良しマイミク」なる機能が追加されたとの由。

 まあ気に入らないマイミクに対してはっきりした態度をとれず別途場所を設けて陰口などを囁いている姑息な連中も少なくないことは数年前から重々知っているので(笑)、なるほどそういうニーズにこたえたもんかもしれん。

 がしかし、こんなもんを運営側が提供してはいけない。

 いよいよ末期的症状だなmixi。

 5年間の「遺産」さえなけりゃあ、いますぐにでも辞めてやるのだが(優柔不断)

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 古《いにしえ》からこの国には「三種の神器」って伝承がある。

 元祖の「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」「天叢雲剣」からはじまり、かの『ALWAYS 三丁目の夕日』の頃には「テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」、そして俺のガキの頃にはいわゆる「3C」という「カラーテレビ」「カー」「クーラー」などがそう語られてきたわけだ。

 さて2009年9月現在——
 俺の中での三種の神器は、「iPhone」「Twitter」「Intel Mac」だ。

 もうね、これらをすべて揃えてることが十分条件だが、うちひとつも備えてないとしたら、ちょっと……あーいや、かなり危機感を覚えたほうがいい。
 それほどまでに、これらの「神器」は幸せをもたらしてくれる。

 まずiPhone。
 われらが大和朝廷(笑)では発売当初さんざん馬鹿にされたものだが、いまやたいへんな勢いだ。実際に入手してみれば——よっぽどお脳が弱い人でないかぎり——それまでの携帯電話やスマートフォンにはない数々の魅力に取り憑かれるのは必定で、そのことは昨今、都心部の電車に乗れば1両に数人はユーザを見かけるということなどでも明白だ。

 第二にTwitter。
 まだまだmixiあたりと類似のサービスだと考える向きが多いようだがとんでもない!
 Twitterをして単なる仲良しクラブなサービスと考えるのは大間違いで、使いかた次第で過去のどんなメディア(新聞・ラジオ・テレビなど)をもはるかに超える可能性を持っている。その即時性もさることながら、どうかするとこれまでのウェブ(ブログ含む)、メール、チャット、SNSのすべてを取りまとめる、ポータル(入口)としてのサービスとしてきわめて強力だ。
 まだまだ普及しはじめたばかりのサービスなのでこの先どんな落とし穴が待っているか知らないが、Twitterこそぼくは、21世紀のインターネット・サービスの端緒だと思う。
(ちなみに雑誌『NY Times』の表紙にもなったように、Twitterが爆発的に普及した理由としてiPhoneの登場は大きい。iPhone以外でTwitterなんて、考えただけでぞっとする)

 そしてInter Mac。
 インテル社のCPUを積んだMacintoshという意味だが(余談だが最近Apple社が積極的に「Macintosh」といういいかたをしない点は重要だと思う)、悪いがいまどき「パソコン買うならWindowsでしょ」などと考えてる人は、大阪万博あたりで三波春夫と合唱してりゃあいいと思う。
 ことに最新のMac OS X "Snow Leopard"はちょっと凄すぎて、10月末にリリース予定のWindows 7なんぞも、ちょっと太刀打ちできそうもない。いろいろな理由でまた市場シェアは得るかもしれないが、Intel Macユーザからすれば可哀想でしょうがない。
(ついでにいうといまだにMac OS 9が良かったなどとのたまう化石的Macユーザは、Macを知らない人々以上に死ねばいいと思う)

 それぞれについてはまだまだ細かく語りたいことはたくさんあるが、とりあえず以上。

 みんな、早くこっちにおいで!!

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