武蔵野独り暮らし、日々雑感。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 映画『追憶(The Way We Were)』を初めて観たのは、大学浪人1年目の年。 記憶が定かではないが場所は池袋の“旧”文芸坐。 同じく1973年の作品で同じくロバート・レッドフォード出演で同じくマーヴィン・ハムリッシュが音楽を担当した『スティング』との2本立てだった。 で、なにぶんいまだに俺のザ・ベストの1本たる『スティング』があまりに強烈すぎたのと、地味〜な物語ということもあり、以来ずっとどういった物語だったか忘却のままに、再鑑賞の機会を得ないままにきた。 だが、昨年末以来の俺の中での「映画音楽」へのマイブーム再燃と、先般の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の再鑑賞からの“ノスタルジア系映画”への憧憬と、そしてここ数日の身辺の色んな事どもから、有名な主題曲だけは誰でも一度は耳にしたことがあるであろうこの作品を“再び観なければ死んでしまうかもしれない病”にかかってしまい(笑)、昨夜iTunesから購入・ダウンロード、先ほど約30年ぶりに観直した次第だ。 いやー、やられた(T_T) 初回の印象に違《たが》わずやっぱり地味〜な作品だったのだが、初見から齢を重ね、色々とあったテメエの人生(笑)を踏まえてあらためて観ると、どうにもたまらんちIOC会長だねこりゃ。 作品ジャンルとしては「ラブロマンス」。レッドフォード演じるハンサムでスポーツマンでノンポリでモテモテの主人公と、地味で政治活動に熱心なバーブラ・ストライサンド演じるヒロインとの学生時代から第二次大戦やハリウッドの赤狩りを経て中年期に至るまでの愛と別れの物語なのだが、なるほどこりゃ18の小僧にはわからんなと。 こういう作品が沁みる歳になったんだなー。 いやそれにしてもバーブラ・ストライサンドってのはあらためて、おっそろしい“女優”だ。 彼女が主演した他の映画作品でもそうなのだが、だいたいまずは“不美人という前提”から始まるものの物語の進行につれて可愛らしく魅力的にかつ色っぽく見えてくるから凄い。最初のベッドシーンなんて——こちらの心象もあるのかもしらんが(笑)——マジでヌケるレベルだ。こういう描かれかたと演技ができる女優は希有ではないかと思う。 同じく初見からひさしい『ハロー・ドーリー!』や『ファニー・ガール』も、今一度観たくなったな。 (ストライサンドほど極端ではないが、例の『カーネーション』の尾野真千子さまがこれにあたると思う) とまれ淡々とした物語ながら根底に流れるものはかなり硬派で、ベトナム戦争後期、1960年代末期から1970年代半ばまでのアメリカ映画ってのは、やっぱいいなあと心から思う。 1970年代後半にはジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグが新しい時代を切り開いていきそれはそれで俺は大好きなんだけれども、この時代、1960年代前半までの大作主義から1970年代後半以降のルーカス/スピルバーグ登場までの間の“徒花《あだばな》っぽい作品たちを、またじっくり観直したいと思う。 ところでこのことはまたじっくり考察し機をあらためて綴りたいと思うのだが、俺にとって1970年代の“洋画の風景”ってのは、色んな意味で当時のリアルタイムからノスタルジアをはらんでいたんだなと思う。 ビデオが普及する以前、洋画を実際に観るには劇場に足を運ぶかテレビの“洋画劇場系番組”しか方法が無かったわけだが、この『追憶』の主題曲が「ネッスル日本(当時。現:ネスレジャパン)」のCMで使われていて『日曜洋画劇場』を視聴するたびに触れていたこともまた、この映画が俺の心の奥深くに欠片《かけら》として突き刺さっている要因だと思われる。 昨今「サザエさん症候群」とやらがかまびすしいが、日曜夜の名状し難い寂寥感のようなものが、この映画と主題曲にはあるのだろうな。 てなわけで、『追憶』のサントラをさっきぽちった。 起きたらネスカフェを飲もう(笑) PR 旧聞ながら、きょう知ったニュース。 いやー、これは泣ける。
◎福島に350人の“ウルトラ警備隊”
福島県警は1日、東日本大震災を受けて警視庁と21道府県警から特別出向した警察官350人を採用した。福島県ゆかりのウルトラマンにちなみ、愛称を「ULTRA POLICE FORCE(ウルトラ・ポリス・フォース)」とした。 福島県出身で円谷プロダクションの設立者、故円谷英二さんを生みの親とするウルトラマン。地球の平和を守るように、同県の治安を守ってほしいとの願いが込められている。 県警は円谷プロの協力を受け、ウルトラマンをモチーフにした缶バッジと腕章を作成し、350人に着用してもらう。 この日は、警戒区域などで急増した窃盗事件などの取り締まりに当たる「特別警ら隊」が新たに発足。350人のうち145人を充て、計約180人態勢で活動する。 このほか、警備部に震災前から置かれている「災害対策係」を拡充し、震災や原発事故対応に特化する「災害対策課」(約90人)を新設した。(共同) この調子で自衛隊も、国際救助隊(サンダーバード)になっちゃえばいい。 つか、“ウルトラ警備隊”なのにステッカーがウルトラマンなのがちょっと気になるトコ。 レッド族(セブンとかタロウとか)は、いつも冷遇されてるなー(笑) NHK『歴史秘話ヒストリア』は、毎週録画に設定していて、なるべく観るようにしている。 で、さっき今週ぶんの放送が終わったわけだが、来週の予告を観てすっとんだ。 曰く、 「“カワイイ”に恋して~中原淳一と「カーネーション」の時代~」 待ってました!!\(ToT)/ もうね、連続テレビ小説前作の『おひさま(´・ω・`)』から、どれだけ同枠ドラマとシンクロして中原淳一先生が語られることを待ち望んでいたことかということだ。やっとか、と…… 『カーネーション』の先週と今週はちょうどコシノヒロコとコシノジュンコ(そしてこの先はたぶんコシノミチコ)も含む成長譚が描かれているわけだが、ここでいわゆる「コシノ三姉妹」に大きな影響を与える存在として登場している「原口先生」が、つまり、中原淳一先生というわけ。 (以下、敬称略) 俺は自慢じゃないがこの10年間、竹久夢二から始まるいわゆる「抒情画」等々とそしてまた後年の少女マンガに連なる系譜と歴史に関してはかなり研究してきた。 だから、夢二、淳一、そして高畠華宵、蕗谷虹児、加藤まさを、松本かつぢ等々の、就中、雑誌『少女の友』で活躍した彼らの挿画が、いかに明治後期から敗戦後までの歴史の中で、どれだけ老若を問わずご婦人の精神《こころ》に影響を与えてきたか——羽ばたかせてきたか——を知っている。 すなわち、「女性解放史」の礎であるということ。 ことに中原淳一は昭和初期からの流行作家であったわけだけれども、また敗戦後は雑誌『ひまわり』『それいゆ』『ジュニアそれいゆ』等々の活動も含めて、ご婦人の自由と尊厳を高らかに宣言し活動したということにおいて、俺は心から尊敬しているのだ。 「美しいとは、こういうことだ」 淳一の、ことに戦後の活動については、こうして綴っている間にも思い出すたびに涙が出てくる。 世の中や、個々人の“生きる”は、たしかに綺麗きれいばかりではない。それは俺も知っている。 しかしそれでも「美しさ」を希求し、少なくともご婦人がたに「凛として」「かくあれかし」を提示した淳一の活動は、俺は素晴しいことだろうと思ってるんだ。ココ・シャネルがご婦人がたからコルセットからの解放を提示したことに匹敵する、あるいはそれ以上のものが中原淳一にはあると思っている。 蛇足ながら連ドラ前作『おひさま』において俺が最も頭にきたのは、戦前の陽子の部屋に中原淳一の挿画が飾られていて期待させたにも関わらず、戦後編でひとっつもそれが言及されることなく、キャッキャウフフに堕ちたことだ。視聴者を舐めてはいかんね。凄い伏線だと思っていたことの肩透かし(´・ω・`) そういう意味でも『カーネーション』においては浮気だ不倫だのぐだぐだがありつつも、やっぱおさえてるトコはおさえてるなという——流石の渡辺あや脚本——ってのはあるよな。 つか、『おひさま』時点から中原淳一を語ってる俺も流石。 https://twitter.com/#!/kawasemi/status/56746757203308544 https://twitter.com/#!/kawasemi/status/83899661479452672 https://twitter.com/#!/kawasemi/status/85028658015780865 https://twitter.com/#!/kawasemi/status/129878070604734464 つまるところ「美」と「芸術」と「感性」だよ。 難しい時代だからこそ、美/芸術が試されてると思う。ここで凛と、背筋を伸ばし、出来ることをする。精神的《こころもち》ブレずに。 関東大震災のあと、あの軟弱画家(笑)の竹久夢二が焦土を歩き回ってスケッチを“しまくった”ように。 おためごかしの「アート(笑)」じゃねえ。いまこそ本当に美しいものへの勝負がいわゆるクリエイタを自負する連中にあるべきだろう(もちろん、俺もをや) とまれ、来週の『歴史秘話ヒストリア』に、大いに期待なのだ。 とある事情にて立川での外勤めのあと“大山手線(笑)”こと武蔵野線ぐるりにて、埼玉県越谷市へ。 用事をやっつけ、東武伊勢崎線「新越谷」から武蔵野線「南越谷」に乗り換える間、立ち食い蕎麦でも手繰って帰ろうかと思っていた。 が、周辺をちょっと徘徊してたら、どうにも気になる酒場を発見。 もつ焼き『やまちゃん』。 そして当然のごとく、ふらふらと中へ。困ったもんだ(笑) 南越谷/新越谷ってのはそれこそ武蔵野線の開業とともに開発されたような場所で、歴史はそんなに古くない(まあそれでも40年ほど) が、やはり同じ武蔵野線沿線の秋津/新秋津同様に、乗り換えの二つの駅を駅ナカで直結させなかったのは正しい判断。 あらためて気づいたが“武蔵野のミニ野毛©俺”な秋津ほどではないにせよい~い感じで、ことに適度に枯れた酒場が点在していてたいへんによろしい(笑) この『やまちゃん』なんぞは、その代表格といえよう。 おそらくは都心からの“放物線”のひとつ東武伊勢崎線と、“大環状線”たる武蔵野線との「交点」として、多くの人々の慰めと文化の交流場所となっていると思われる。 いやしかし、ここは大正解であった。 実にまったく、酒場らしい酒場。これまで知らなかったことを、後悔なうである。 何はともあれ、まずは「煮込み(小)」。スタンダードな旨さ 「大」と「小」とが選べるのが、独り呑みにも複数呑みにも優しい すべての酒場に見習ってほしいものだ これは発見、「かしらポン酢」 もんのすげえ旨いこれ これまた発見の“舐めるアテ”、「にんにく味噌」 腹がくちくなってるときは、これだけでいいぐらい 焼き物が2本単位なのがちょっと惜しい ま、安くて旨いからよしとする タン、1本ヒャクマンエン スタッフは若いのだが接客も好ましく、これは支持したい酒場だ。 レトロな体裁も“狙い”かもしんないが、うっかり老舗に胡座をかいている「下町スノッブ」な店よりよっぽどいい。 などと考えていたら、どうやら『吉田類の酒場放浪記』でも取り上げられた模様。 だからどうだというわけではないが、さもありなんな名店だと思う。 オヌヌメ。 というわけで〆のホッピー中3杯目を、にんにく味噌をちびちび舐めながら楽しまんとぞ思ふ。 こうしてiPhoneからその場でブログを記しつつきこしめしながら、い~い感じで躰も火照ってきました、よと。 ホッピー外1本で中3杯イケる店は名店©俺(笑) 「女たった一人のために、世間に八つ当たりするのね!」 ……というのは、映画『カサブランカ』の中でバーグマンがボギーに放つ台詞。 未見の人はそのイメージだけでただただレトロな——そして表層的な——ダンディズムだけの作品だと思いがちな同作だが、まあ全編の98%は主人公の、つまるところ男の未練たらしさぐだぐださとかそんなモンで満ちている映画である。 まあだからこそ残り2%とラストの大ホームランがかっちょよく映画史の金字塔なわけなのだけれども、なかなかまあそうはイカの金玉タコが引っ張るのが現実。 「貴男はそれでいいの?」 「君と暮らした巴里の思い出があるさ」 ちきしょーっ! いえねえ!! 「俺はこんな男だけれど、狂った世界を放っちゃおけない」 は俺の人生を支配しているボギーの台詞だが、今宵はとてもそんな偉そうなことはいえねえ。 ぐだぐだなう(笑) あとはもう、ただただ、時の過ぎゆくままに(As Time Gose By)だが、 世間に八つ当たりしたい気分もまた。 ボギー、アンタの時代は良かった。 |
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