武蔵野独り暮らし、日々雑感。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 いやー、長かったっすね。 今週の『カーネーション』(^^;) 糸子のモデルとなった小篠綾子さんの“もにょもにょエピソード”はドラマ放送開始直後に原作本を読んで知っていたものの、本作には珍しく何かこう歯切れが悪い展開で、正直なところ某善作……ちゃうちゃう、前作の轍を踏まないかとちょっと——いや、ちょっとだけョ——ドキドキしてたのだけど…… さすがの渡辺あや脚本、見事な締め!! (伏線含む) 細かく記しだすとキリがないのだが、あえてとどのつまりの素晴しさを俺なりに綴っちゃうと—— 徹頭徹尾、“糸子の剛腕ぶり”と“周防のへたれっぷり”を貫いた点 (苦笑《ニガワライ》) ——はもう、ホントお見事!! まあ何ちゅうかですねえ、俺がいうのもナンだけど、“ああいうシチュエーション(笑)”になると、野郎ってなぁ互いの年齢とか立場とか収入とか関係なく、たいがいが甘ったれ助になるもんです。(←をや?w) で、意外と——それをおくびにも出さず——打算的でみみっちい。(←をやをや??ww) さらにいえばご婦人が年齢等々関係なく潜在的に持つところの乙女心的ななんかもくすぐるのが——本人が気づいている/いないに関わらず——巧かったりしたりしてですねえ……(←をやをやをや???www) で、かてて加えて本作では糸子が何よりも仕事熱心で、ともかく稼ぐ。 そしてかつ、 「死んでしまいました」 に代表される彼女の心の奥深くにある穴。 (蛇足ながらあの台詞には具体的に詰問されたお父ちゃんや勝さんだけではなく、勘助や泰蔵兄ちゃんへの想いもあったに思う。だから合間に或る種の逆説でもあるところの奈津の結婚エピソードも挟まれたのだろう) そりゃ——意識する/しないに関わらず——つけこみますよ(笑) だからきょうのクライマックス回において周防が、 “イケメンでやさしいけど、とどのつまりダメンズ” として描かれたのは、さすが『カーネーション』だと思う次第。 (北村や組合長のダメンズっぷりもをや) あらためて考えると、本作は主人公の幼少時代から、「男社会・男的価値観が強かった時代」をどう超えるか/超えてきたかを——時に野郎どものへたれっぷりを愛しつつ——描いてるわけで、いやあ、ブレてないなと。 また同時にダメンズたちばかりでなく糸子(ご婦人)の側にも考えにゃならんトコは多々あるわけで、その辺りのフラットさもまたいい。 (史実には描かれていない恵さんのキャラなんかは、緩衝材・乳化剤として生み出されたのだろう) 「ダメだこりゃ©いかりや」がわかっていながらもずるずるとなる人の心とか営みとか、そうした辺りを丁寧に描いているからこそ、本作は大上段に女性上位を口角泡を飛ばして語ったり、某文教・お受験区(笑)に実在する『男女平等センター』なる滑稽な施設よりも、もっともっと次元が高く説得力があるなあと。 観る側が色々と考えるところが本作品の最大の魅力。 戦争という個人ではどうしようもない外的暴力よりも或る意味でもっと難しい己《オノレ》の心と愛の闘いを超えた糸子が、来週以降またどうなっていくのか、とても楽しみだ。 PR 世間様が週末休みを満喫している中、俺はきょうもあしたも外勤め(泪) まあこれが男の生きる道(詞:青島、曲:萩原、歌:植木)なんで見ろよ青い空白い雲(同左)ってことでそれはともかく(?)、きょうは日勤あしたは夜勤ということもあり、解放後に酔狂にもこの寒空をちょっと散歩してみた。 かつての“基地の街”、立川。 そんな気になったのは、ちょっとした理由《ワケ》が。 最近ちょくちょく通うようになった進駐軍時代から一代で続いているバー『潮』にて、マスター“ジミーさん”より戦後の立川の発展史をうかがい、がぜん興味を持ったから。 詳細はまた別途記したいが、たとえば現在は同じ「立川市」であっても古くからの地主の住む地域と米軍基地によって発展した地域との違いとか、あたかも江戸の発展史にも似たダイナミズムに鼻を膨らましたというハナシ。 (折よく戸井十月『植木等伝 「わかっちゃいるけどやめられない!』を読了、あらためて“基地のバンドマン”に興味を持った矢先というのもあった) と、いうわけで今回は主に基地と共にあった地域、「立川市高松町」をブラブラ。 まずは職場ビルを出て「シネマ通り」ーーいまは存在しないがかつては三軒の映画館があったのが名の由来ーー方面へ。 多くの地方都市同様に閑散とした感じは否めないが、長く愛されているのであろう昭和の香る呑み屋とか、逆に最近できたと思われる真面目そうな個人経営の店舗も散見され、バランスとしては悪くない。 少し前のエントリで阿佐ヶ谷なんかの新旧のバランスの良さを褒めそやしたものだが、そういうものがここに来て立川にも齎《モタラ》されはじめた気がする。このまま頑張ってもらいたいものだ。 昭和の香りと立川クオリティ炸裂の野球酒場。 今宵も武蔵野・多摩地域の草野球チームと思しき予約が入っていた。 この蕎麦屋はとても気になる。 武蔵野の蕎麦屋は旨かろう高かろうが多いのだが、 せいろがゴヒャクマンエンというのはたいへんによろしい。 今度ぜひ寄ってみたい。 このスナックなどは基地の時代を知っているような気がする。 続いて多摩湖方面へと続く「立川通り」に出る。 よくある地方の幹線道路の風情だが、この高松町辺りの沿線にはまだ所々にモータースケールばかりではなく、街がかつてヒューマンスケールだったことを思わせる店々が残っていて好ましい。 この古書店はいい。 今度じっくり立ち寄ろう。 いまどきガス、電気、水道のすべてを扱う町の個人業者というのも珍しいのではないか。 店舗そのものが1970年代風味の内装というのがまた泣ける。 老舗表具店も健在。いわゆる下町の表具店よりも規模が大きい。 もう少し北の砂川地域のみならず高松町にもけっこうなお屋敷があり、 ホームセンターとは違う需要があるのだろうと推察する。 踵を返し高松町の立川女子高等学校周辺、かつて基地で働く人々が住まっていたと伝え聞く路地だらけの区域へ。 すでにとっぷりと日の暮れた中で細かくは確認しづらく、またかなり開発の手が入っていたものの、所々に残滓が確認できた。 ビルの谷間の平屋。いまは住む人もありやなしや。 同じく有料駐車場に囲まれた古い家屋。 表には「PLANNNER」の看板があったところをみると、 かの『東京R不動産』的な活用がされているのかもしれない。 こういうのがとても好きだ。 ビルと小さな個人宅ばかりの中に、唐突に現れる洋館。地元の名士の邸宅の模様。 向かって右にはシャレオツな居酒屋が並ぶところをみるとこの一角は邸宅の主の持ちもので、 こだわりをもって残しているのかもしれない。 実際に歩いた順序とは紹介が逆になったが、高松町の住宅街を北に抜けると、唐突にいまも残る『新立川航空機』や陸上自衛隊駐屯地そして昭和記念公園といった広大な敷地がばーんと眼前に広がる。 この辺りが立川ならではの醍醐味で、何かこう変なハナシだが先のジミーさんから聞いたことやクレージーキャッツなどの物語とシンクロして、俺個人は見知らぬ当時の空気とか雰囲気のようなものがどどどどどと自分の中に流れ込んで来るような気分になった。いわゆるDEEP横濱などにも似てまたちょっと違う、一種のファンタジーだと思う。 細い通り一本を隔てて、 或る意味で普通の閑静な住宅街から 古《イニシエ》の基地の街に瞬時に変貌するダイナミズム。 ちょっと無い感慨だ。 立川航空機正門前からビジネスビルが林立する立川駅前方面を望む。 右手には荒涼と広がる陸上自衛隊駐屯地。 何とも不思議な感慨に襲われる。 ……というわけでこのあとは駅北口に戻ってその途上も面白かったのだが、それはまた別途。 で、最近俺の中で再評価著しい居酒屋『弁慶』に辿り着き、い~いこんころもちの中でiPhoneからこのエントリを綴っているのであった(笑) 煮込み豆腐とかあなご天ぷらとかニラ玉とかうまーヽ(;▽;)ノ 後ほどMacにて編集予定。 【追記】編集しました。 日付変わってすでに一昨日のことだが、『ALWAYS 三丁目の夕日 '64』を観た。 色々あるが、兎も角も、 「俺は全力でオマエを叩き潰す」 という台詞とその際の茶川のポーズと目つきに、死ぬかと思った。 ありゃあSTAR WARSか梶原一騎作品だ。燃える。燃えるんだよ!! その他のシーン含め“正編”以上に泣いて死ぬかと思ったわけだが、それは監督とか脚本とかの巧さも含めて作り手の思いをこっちが感じ取って成り立つものだなあと。シリーズ三作目ともなると受け手も「どーせあーなるだろー」と予測してる辺りの見事な裏切り。 いま放送されてる連続テレビ小説『カーネーション』もそう。蛇足ながら「予想を超える」がいいんだよな。 かの『E.T.』なんかもそうなんだけど、 「どーせクライマックスで飛ぶだろー」 と、こっちが考えてるわけなんだが、凡百の作品が描く「ここで飛ぶだろう」と観客が予想してる場面じゃなくて「うわっ!!」という「予想とそれを超える」があるから、人は感動するんだよな。裏切りと超絶の美学。 本「'64」においてもかの万年筆を手に茶川が走るというリフレインがあるわけだが、それから先に見事に裏切りの美学があり、かつ、 「激烈なまでの父と子の対立と愛情」 というSWとか一騎作品に類するモンを描いていたのが、我ら同世代たる山崎“ルーカス/スピルバーグのこども”貴監督の面目躍如だと思うね俺は。 そも「正編」の際にはあまりやる気がなく阿部プロデューサの“思い”を仕方なく監督して気づけば本人含め大名作になってしまったところの(笑)、実写映画としての「三作目の夕日」シリーズを、山崎貴監督は、見事「自身の作品」にしたと思うよ「'64」。 原作マンガでは『サザエさん』的にいつまでも変わらぬ登場人物の年齢等々を逆手に取った辺りも含めてね。 「ヒトが生きていればいやでも育つし、齢を重ねる。ふいと過去を懐かしがるもする。だが、どんな年代だろうが立場だろうがいつも夕日はそこにあり、いつでも美しい。明日を凛として、信じよう。」©俺 この作品が、かの「3.11」より前にほとんどクランクアップしてたという“かん(©ルフィ)”も特筆すべきだろう。 とまれ、素晴しい作品だ。 てめえら、観ろ!! というわけで前エントリの続き。 開店時間になったので、オヤジ(父親)とのいつもの落ち合い場所、阿佐ヶ谷『暖流』へ。 売れる前の佐野史郎がしげく通い、「この世の果て」と呼んだという『暖流』。 阿佐ヶ谷を代表する居酒屋だ。 いまも25時には小ママと交代して朝8時まで厨房に立つ大ママの歴史を語るスナップの数々。 先の佐野史郎や、輪島関も。 俺のオヤジも数十年来のお得意というかほとんど家族みたいなもんで(笑)、店内にはオヤジの展覧会などのチラシや肉筆画、版画などももたくさん。 が、俺が口角泡を飛ばして主張したいのは、“阿佐ヶ谷のチャングム”と俺が呼ぶ小ママの料理の旨さ。 たかがお通しのヒジキ、ブリ刺などが明らかに一段上の旨さ。さすが、世界各国の味を求めて飛び回ってるだけのことはある。 中央線沿線住人ならずとも、一度は訪うべき大名店。 間もなくオヤジも来るらしい。 |
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