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武蔵野独り暮らし、日々雑感。
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 今宵もiPhoneとJawbone JAMBOXをジップロックに入れて、「映画音楽」プレイリストをQuick Mixで聴きながら風呂なう


ジップロックと湯気越しにつき
曇ってるのはご愛嬌


 はああ、極楽/\♪( ´▽`)


 つか、湯船と洗い場との温度差が激しい(>_<)

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 本放送は外勤め中だったのでちゃんと観られなかったNHKスペシャル、
『ヒューマン なぜ人間になれたのか▽第2集 グレートジャーニーの果てに』(→)
 の再放送をいま観ている。

 無っ茶苦茶、面白いこれ!!

 現在のところ学術上は別種とされている我らホモ・サピエンスとネアンデルタール人との、それぞれの繁栄と滅亡との理由を道具——ことに「投擲具の発明」の有無という点からはじめて発展的に検証しているのだが、なるほどなあと思うことしきりだ。

 単なる狩猟の優位性というところから、ヒトとしての集団社会の維持と精神的な抑止力にも至る……いうまでもなく現代のICBM(大陸間弾道ミサイル)やSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)といった“究極の投擲具”などにも通じるものが語られている。
 同番組内のコーヒーサーバの実験も含め、いわば、
「恐怖・威圧で支配されること」
 を選んだが故にホモ・サピエンスは発展したかもしれないという投げかけ。

 また、武器の開発を始めとしてネアンデルタール人が少数人で集まって云々しているだけでとどのつまりそこで終わってしまったのに対し、ホモ・サピエンスは分散する大人数が互いにアイデアを出し合い、そしてまずは試してみて上手くいったものを各々が真似たから発展があった——すなわち、ネットワーク——という切り口もとてもいい。

 こういうの、凄く好きだ。

 次回の第三集では、俺にいわせれば“人類史初の環境破壊”たる「農耕」を取り上げるそうだ。

 どのように驚かせてくれるのか、楽しみな番組である。



 ……というわけで、『ブラタモリ▽国分寺 遺跡編』再放送なう。 

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 ここのところ、「総選挙」という言葉にはどうもいいイメージがない。

 このエントリの本題ではないのでまあ詳細はハショるが、総選挙ばっかりやってる秋葉原系の豚と、逆に一向に肝心の総選挙を実施しない永田町系の豚とによるものだとだけいっておこう(笑)

 で、それはともかく以下の総選挙とその結果は、たいへんによろこばしい。
「歴代カップヌードル復活総選挙」(→)

 スペクトルマンや帰ってきたウルトラマンさらに仮面ライダー、国内初のマクドナルド、明治の小枝や不二家ハートチョコレート、そして我らが旧作ルパンなどと同じ1971年生まれの日清カップヌードルの40周年を記念して昨年行われた歴代のカップヌードルの人気投票だったわけだが、そこで堂々の1位に輝いたのが、
「カップヌードル 天そば」
 だったというわけ。いやー、実に感慨深い。

 カップヌードルとしては2つ目の製品で、札幌冬季五輪とかあさま山荘事件とか旧作ルパンと俺との出会いがあった記念すべき1972年に誕生。
 後継たる、かの「日清どん兵衛」にその座を譲って1977年には生産中止となったために地味な印象はまぬがれず、俺は投票したのだが果たしてどこまで票を伸ばすかと危惧していたら予想を裏切る展開。Wikipediaなどによると、なんでも例によって伊集院光がこの幻(?)のカップヌードルを広く知らしめたらしく「食べてみたい」という興味からの票が集まったと見るべきだろうが、まあともかくもリアルタイムで喰らっていた者としては小躍りする結果だったのだった。

 俺だけかもしれないがこの「カップヌードル 天そば」が売られていた1970年代半ばというのはまだそんなにカップ麺が日常茶飯事に入り込んではおらず、変なハナシだがどちらかといえば「ハレ」の食い物だったように思う。これはマクドナルドなどのファストフードも同じ。
 なのでオリジナルのカップヌードルに輪をかけて喰らう機会の少なかった「天そば」ながら、これは旨いものだなと思った少年期の記憶がある。
 だからどん兵衛が登場した際にこりゃまた旨いと思った反面、気づいてみたら「天そば」がひそかに消えていった事には、何かこう、得も言われぬ寂寥感みたいなものを当時から感じていた。

 加えていえば、天そばに次いで1973年に発売された「カップヌードル カレー」が現在まで途切れることなくレギュラであり続けていることなども、その感情をいや増すものだ。
 俺は「カレー」はそんなに喰らうほうではないのだが、たまに喰らうとその度に、同じ頃に登場し先輩格でありながらもしかしいまは無い「天そば」を思い、それこそエンリオ・モリコーネの音楽を耳にした時と同じような、胸を掻きむしられるような感情に襲われ続けてきたものだったのだったのだった。

 そして35年(笑)

 総選挙の結果を踏まえ、このたび目出度く記念復活した「天そば」が売られていたので、さっそく買ってきた。

 そうそうこれこれ、このパッケージですよ!……っていま気づいたが「天そば=緑」ってのはマルちゃんで、日清の天そばは赤いのだが、当時は緑だったという逆説。
(つか、カップヌードルのオリジナルが赤だしなー)


「復活総選挙」のプリントがうざったいなー
まあこれが無いと当時のものとの区別がつかないのだろうけど


上から見た写真だと「どん兵衛 きつね」と大差ない

 熱湯を注ぎ、
「大五郎、三分間待つのだぞ」
 というのは同時代、四角い仁鶴が丸く収めるようになる遙か昔……遠い銀河系の彼方1973〜74年頃の、こちらはボンカレーのCM。

 できました。

 正確には憶えてないが、再現性は高いと思う。いやー、当時の香りがぷんぷんするわ。


天ぷらというよりもフリッターみたいな「謎天(©俺)」と
過剰なまでのシイタケとシュンギクの青臭さが渾然一体となった得も言われぬ香り
カップ麺倶楽部70's(笑)


 味も当時のそれにかなり近いと思う。
 そういえば俺、ガキの頃は極端に偏食でシイタケ大っ嫌いだった(いまは大好き)のだが、よくこれを喰らえたな。つか、このカップヌードルでシイタケを喰らえるようになったのかもしれない。


良くも悪くも当時の記憶にかなり近い味と香り
麺はイケませんねこりゃ(笑)


 というわけで懐かしい味を堪能。

 旨いかと問われたら「いやー……はっはっはっ」と苦笑いするしかない感じだが(笑)、たしかにこういうのが1970年代全体を覆う味だったよなあという感じ。食の安全性だとか本物指向だの(そしていわゆるグルメ指向)が社会の表層で語られはじめたは1980年代に入ってからであって、高度成長期とバブルとの間の1970年代は、こういう味が充ち満ちていた。
 レトルト食品やファストフード、そしてスナック菓子が登場し拡大していくのを自身の成長と平行してダイナミックに体験できたのは、その善し悪しはともかくとして、面白い時代に育ったなあとあらためて思う。

 そして同じカップヌードルの中だけでも、残るものと消えていったものとを比較してその理由を考えてみるというのもまた、面白そうだなあと思った次第。


 ところで「チキンヌードル」は復活しないんだろうか?

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 過日、夜中にCSで映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』を放送していたのだが、うっかり観はじめたら止まらなくなってしまい、とどのつまり4時間近くの超大作を最後まで観てしまった。
 いやー、翌日の外勤めにさわったこと(笑)
 ところで同作は公開から数年後のTV放送で観ていてたのだが、さすがに四半世紀ほど前のハナシ。記憶も曖昧だったのだが、あらためてこりゃあいい映画だと思い、がぜん監督のセルジオ・レオーネに興味がわいた次第。

 で、色々と調べていたら同監督の『夕陽のガンマン』のアルティメット・エディションDVDに、
クリント・イーストウッド=山田“ルパン”康雄
リー・ヴァン・クリーフ=納谷“銭形”悟朗
ジャン・マリア・ヴォロンテ=小林“次元”清志

 の各先生のテレビ放送における吹替が収録されていることを知り、
「いままで知らなかった俺のバカ馬鹿ばか莫迦!!」
 と自らを罵倒しつつ、同作を含めて「ドル箱三部作」と呼ばれる『荒野の用心棒』と『続・夕陽のガンマン』と共にぽちった次第。

 というわけで昨日届いたので取り急ぎ『荒野の用心棒』と『夕陽のガンマン』を観終わったところなのだが、それこそ何度かテレビ放送で観た前者と違い、後者はまったくの初見。
 いやー、これまで未見だったことを、死ぬほど後悔なう!!
 もうね、俺、往年の洋画好き失格だと思いましたマジで。

 何つうかですね、文芸的主題とやらなんかはこれっぱかしも無いに等しい——ぎりぎり無くはない(笑)——んだけど、登場人物から展開から映像から音楽から、ひと言でいえば、
「無駄にかっちょいい」
 ドライでクールそしてたまーにウエット。伊太利人監督による亜米利加映画というか、ともかくも、多くの映画人がレオーネ監督シンパというのがよぉ〜くわかりました。

 で、それが上記先生がた全盛期の吹替ですよ。1973年。旧作ルパンの翌年だ。
 しかもメインの三人の次なるポジションの人物、ヴォロンテ演じるギャングの親玉の腹心が、何と、大塚“旧作ルパン五ヱ門”周夫先生。
 いやもう、死ぬかと思った。

 本作にはご婦人はほとんど登場しなくてしかも台詞もほとんど無い(笑)のだが、ここで謎の女が絡んでしかもその吹替が二階堂“旧作ルパン不二子”有希子さまだったら完璧であった。
『夕陽のガンマン』の唯一の欠点といえばそこだ(←そこなのか?)

 いやともかくしばらくの間はセルジオ・レオーネ熱が治まらない気配濃厚。
『夕陽のガンマン』と『続・夕陽のガンマン』はもうひとつ同監督の『夕陽のギャング』とセットになった「完声版」なるDVD-BOX(→詳細を紹介しているブログ)も出ているようで、そっちも欲しくなってしまって困ってる次第。

 まあそれにしても「粋でかっちょいい野郎どもの物語」を綴っている最中にこういう作品に出会うとは、これまで未見だったことは悔しいものの、やっぱ作品には「出会うタイミング」ってのがあるもんだなあとあらためて感慨もひとしお。頑張ろう。

 さてこのあと『続・夕陽のガンマン』を観ようかなー。どーしよっかなー(笑)

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 椎名林檎、そして東京事変の凄さを知ったのは、恥ずかしながら昨年の紅白での演奏だった。

 かの連続テレビ小説『カーネーション』にハマっててその関係もあって——糸子(尾野真千子さま)が出るってことで——椎名林檎の紅白出演シーンを固唾を呑んで見守ったのが最初。
 事前の情報にあった『カーネーション 紅組は誰でもバージョン』って何だろう?……とさしたる考えもなくハナクソのひとつふたつほじりながら観たのだが、紅白『カーネーション』直後の——

 東京事変『女の子は誰でも』

 ——に瞬殺され(笑)、十数分後にはiTunes Music Storeで曲とPVを買った俺ですよ。で、以来聴きまくり。

 何でこんなことを唐突に綴ってるかといえばいま寝ようと思った直前にたまたまザッピングしたCS『スペースシャワーHD』なるチャンネルで「東京事変PV特集」なる番組をやってて『女の子は誰でも』もやってたりして録画してない俺死ねとか思ったから(笑)

 再放送お願いします!!

 ところで紅白で表現された『女の子は誰でも』の世界観とその直後に購入したPVの何が俺の琴線に触れたかといえば、
『奥様は魔女』から始まる昭和「魔女っ子もの」へのオマージ
・MGMミュージカルへのオマージュ
・ビッグバンドジャズのサウンド
・兎にも角にも「女の子」っぽく可愛い

 ——って辺りですかねえ。

 とまれ昨今オマージュとかリスペクトとってな単語が安っぽくなってる時代において、東京事変『女の子は誰でも』は、詞も曲も演奏もPV表現も、“なにこれわかってる感炸裂”だったから。
 腰が砕けると思いました!(いまも同PVを観る度にそう)

 で、CSであらためて東京事変のPVを観たのだけれども、『女の子は誰でも』だけではなく、い〜いのが多いねえ。いちいち男が濡れる。


 東京事変、解散しないでほしいなあ(><)

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